家族性多発性脳海綿状血管腫

●脳幹部多発性脳海綿状血管腫の症状と経過① 母の場合

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私ひとりで、脳幹部を含む多発性脳海綿状血管腫の症例を4つ書くことができる。私も含めて身内に4人の同病者がいたからだ。非常に珍しいケースだと言われたことがある。私達が経験した症状や経過を、その人 別にまとめてみたいと思う。

脳海綿状血管腫とひとくちにいっても、皆が同じような症状・経過をたどるものではない。血管腫ができる場所は千差万別。血管腫がある場所が何の機能をつかさどっているかによって、身体に現れる症状が変わってくる。

 

そこで、私も含めて家族4人分の記録をまとめることにした。

●脳幹部多発性脳海綿状血管腫の症状と経過② 弟の場合

私ひとりで、脳幹部を含む多発性脳海綿状血管腫の症例を4つ書くことができる。私も含めて身内に4人の同病者がいたからだ。母・私・弟・私の娘の4人。父は別の血管奇形(脳動静脈奇形)だった。 4人の海綿状血管 ...

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●脳幹部多発性脳海綿状血管腫の症状と経過③ 娘の場合1

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●脳幹部多発性脳海綿状血管腫の症状と経過③ 娘の場合 2

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脳海綿状血管腫に関する一般的な医療情報(発症・症状・治療・予後など)は以下にまとめた。

●脳海綿状血管腫を持つ私達家族が受けた治療

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●脳海綿状血管腫を持つ人向け 生活上の注意点と私の発症記録

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母の場合は、脳出血を起こしたあとに、原因が脳海綿状血管腫だと分かった。出血するまでの体調や経過は以下の通りだ。

 

若い頃から母はネフローゼ症候群という病気を患い、腎機能の維持のために、ステロイド剤を含む たくさんの薬を飲んでいた。ステロイド剤につきもののムーンフェース(顔が丸くなる)にも悩まされていたが、一番致命的だったのは、薬のせいで高血圧になっていたことだった。

 

腎機能が悪化するたびに母は入院した。入退院を繰り返していたある日、何かを予期したかのように私を呼んでこう言った。

「もしお母さんが元気に戻れなくなった時のために、お前の好物料理の作り方と、この家のお金の管理方法を教えるからよく聞きなさい」

残念なことだが、家事や家計に関して母が教えてくれたのはこれが最後だ。次に母が家に戻れたのは数年後。半身不随で話ができない身体になっていた。

ある日、学校に電話が掛かってきた。

「職員室に来なさい」

覚悟して教室を出た。その当時、父も母も別々の病院で入院中だったからだ。

「あなたのお母さんが病室で倒れて意識がない。すぐに病院に来てほしい。お父さんはまだお知らせしていない。病状によっては黙っていた方がいいかもしれないと思うから」

腎臓の病気で入院していた母。意識がなくなって倒れる理由は何だ?自問自答しながら病室に急いだ。待っていた医師と看護師の顔が少しこわばっている。何だ、これはいったい何だ?

「まだ若い君にこんなことを言うのは非常につらい。しかし、お父さんも入院してるんだよね? お父さんの体調がよく分からないので君を呼んだ。。申し訳ない。まず君にお母さんの状態を説明するから、冷静に聞いてほしい」

医師が私に見せたのは、脳の断層撮影をしたフィルムだった。

「色が変わってる場所。これは脳出血の証拠なんだ。左側の脳の半分ちょっとの大きさ。正直言うと大きめの出血を起こしている。僕たちは全力を尽くすから、気を強く持っててね。弟さんは何歳?・・そうか。どうしようかな。学校が終わって家に帰る時間に君が電話を掛けて。ご親戚は近くにはいる?誰か頼れる大人は?・・いないのか。なら、タクシーを家に呼んで弟さんを乗せよう。お金は持ってる?じゃあ、タクシーが病院に着く頃に、病院の玄関で弟さんを待ってお金を払うようにしようか」

「あの・・腎臓が原因で脳出血が起きたんでしょうか」

「お母さんは、薬の副作用でとても血圧が高くなっていた。脳血管がそれに耐えきれなくなったんだと思う」

その後、高血圧に耐えられなかった血管は、多発性脳海綿状血管腫という奇形状態になっていたんだと知った。

「多発性ということは、いくつかあるということでしょうか」

「そうだね」

再出血するでしょうか

「それはなんとも言えないんだ。とにかく血圧のコントロールを慎重に行っている」

母が倒れているのを最初に発見したのは看護師さんだった。

病原菌への免疫力が落ちているため、当時の母は個室にポータブルトイレを置いて寝起きしていた。そのそばで倒れていたとのことだ。これ以上詳しいことは聞けなかった。排便時にいきんだからだろうか。それとも、血管が破れたのがたまたま排泄時だったんだろうか。分からない。

処置が済んだ後の母は、約1年の間 植物人間状態で生きていた。なぜか白目が小さなぶどうの房みたいにぼこぼこと飛び出ている。まぶたの中に収まらない。定期的に軟膏をぬり、乾燥を防いだ。ヨードチンキのような色をした薬にひたした大きな綿棒で、口の中を消毒した。痰の吸引もひんぱんに行われていた。

ただ寝ているだけの母の元に通っていたある日のことだ。テレビから歌番組が流れてきた。母が好きな演歌特集番組だ。聞こえてないかもしれないけど、そのまま流し続けた。

そしたらだ。

森進一さんが出てきた。歌ったのは「おふくろさん」という歌だった。

「お前もいつかは世の中の傘になれよと教えてくれた」

幼い時には父の脳手術があり、知り合いの家を転々として私は育った。見なくてもいいものを沢山見て育ってきた。福祉のお世話になって育ってきた。いつか社会にお返しをしないといけない。そう思って育ってきた。今度は私が誰かを助ける番だ。

いつもそんなことを思っていた私の心に、その歌が刺さった。

「おふくろさんよ、おふくろさん。空を見上げりゃ空にある」

という歌詞で始まるこの歌。空を見上げれば母親が見える。つまり、空に旅立っていったお母さんをしのぶ歌だ

「傘」になれるよう頑張るから、お母さんは空に行っちゃいけない。何とか意識だけでも戻らないだろうか。もう一度、声を聞くことはできないだろうか。

えぐえぐと泣いた。声を殺して泣いた。私は親の前で絶対に泣かない子供だった。でも今の母は植物人間。多分私の泣き声は聞こえていない。そう信じて涙が止まるまで泣いた。

奇跡的に母の意識が戻った。出血から1年後だったろうか。

本当に喜ばしいことだ。けれど、意識が戻ることであらたな悲しみに直面することにもなる

母の身体はこんな風になっていた。

  • 右半身機能全廃。つまり全く動かない
  • 言葉を話せない。出せるのは声だけ。しかも叫び声だけ
  • 見舞いに行くたびに吼(ほ)えて威嚇する。人に慣れていない犬のように
  • 時にはおびえ切って、ベッドの柵をつかんで逃げようとした

認知症の方が子供の顔を見て「どちらさまでしたっけ?」と言う、それにショックを受けた、という話を聞くたびに

「目の前にいるのが人間だってことが分かってるんですね」

という冷めた気持ちになっていく自分がいた。

跡になって分かったことだが、私のことがライオンに見えていたそうだ。そりゃ怖いわなw でもな。実の娘くらい人間だと思ってくれよ。

母の状況に合わせて、以下のようなリハビリが少しずつはじまった。

  • あいうえおが書かれている紙を前に置き、「これは何と読む?」
  • 絵などを見せて、「これは何?」(複数の文字を発音)
  • 利き手が動かなくなったので、左手で字を書く練習
  • 足し算と引き算(長年 経理事務をしていた母は計算のプロだったというのに)
  • 聞き取りやすい話し方をする訓練
  • 手足のリハビリ(装具をつけて歩けるようにならなくても、車いすからベッドへの移動が自力でできるように)

「これは何?」と見せるものは、慣れてきたら新しいものにしないといけない。沢山の単語を思い出し、それを発音できる訓練が必要だからだ。私は画用紙に沢山の絵を描いた。言えるようになったらまた新しいものを描いて持っていく。それの繰り返しが何度続いただろう。

なんとか自分の意思を話せるところまできた。ところが、脳の中に言葉が浮かんでいるのに、口に出るのは別の単語。言葉が浮かばないこともよくあった。元々明るくて芯の強い人だったからかもしれない、上手く話せない自分を責めたり、周りに人にあたり散らしたりせず、少なくても子供の前では

「あああ(笑)ちがう。(言いたいことと)ちがうw」

我が親ながら、心の強さに胸を打たれた。

もう少し話ができるようになって気づいたことがある。

母が話す言葉は、自分が生まれ育った町の言葉だけだということに。アクセントだけじゃなく、単語もそうだった。大阪弁は出てこない。

私は幼い頃に母の故郷にある知り合いの家に預けられていたことがある。だから母の言葉を聞き取れるし、話すこともできる。私も大阪弁は捨て、母の言葉にあわせて意思疎通した。

意思疎通といっても単語レベル。しかも間違った単語。それを想像力で補い

「こがなことをいいたいんけ?ほーかな。心配せんでええけん。しゃんとやっとるけんかまんのよ(こんなことを言いたいの?そうか。心配しなくていいから。ちゃんとやってるから構わないのよ)」

こんな感じのやり取りだから、母と方言で話ができたのは、同郷の父と私だけ。弟は聞きとりはできたけど、話しかけるのは大阪弁だった。

子供を見るたびに狂犬のように吠えて頃があったんだと言ってみたところ

「ほーけ!覚えとりゃせんのよ!・・あ、病院にライオンがきたわーい(そうなの!覚えてないのよ!・・あ、病院にライオンがきたわあ)」

それ、ライオンと違う。アンタが産んだ娘w 確かに大きいけどライオンじゃないからw 意識が戻ってしばらくは、目の前のものが何なのかがよく分かってなかったみたいだ。

記憶力や思考能力は元気な時と変わっていなかった

たとえば。カレンダーの日付を指さし

「ほ・・あれ?なんじゃったかいな、ほけん。ほーよ、ほけん。おかねよ」

この日までに保険料を払わないといかんよ、という意味だった。年払いの保険だから、支払いは1年ごと。よく覚えてたな払込日。私、忘れてたよ。

家の中での移動は手押し式の車いす。歩くことは全くできない。それでも幸運だったのは、一瞬だけなら車いすから立ち上がって、便器やベッドに自力で座れることだった。排泄する姿を誰にも見せずに済む。母がトイレに入るたびに、「よっこらしょおおおお!」と気合を入れる声が聞こえてきた。

風呂はヘルパーさんの手を借りた。洗って乾かしやすいように、母の頭は丸坊主になっていた。

相変わらず全身むくんでいる(ネフローゼ症候群で腎臓をやられていたからだ)。153センチ48キロの小柄な母だったのに、今ではLLサイズの服しか着られない。しかも丸坊主。

非常にきれいな顔立ちの人だったのに。もうその面影はほとんど残っていない。

ある日。元気な時に化粧をしていた鏡台の引き出しを開け

「いらーん。これもいらーん。いらんのよ。こがいなってしもて(こんな風になってしまって)。いらんのよ」

装飾品や化粧品をがさがさと取り出しては、悲しそうに戻し続けた。おしゃれをすることはもう一生できない、と言いたかったんだ。

「口紅くらいかまかろげ?(かまわないじゃないの)」

「いらーん。いらーん」

ただただそういうばかりだった。

このまま不自由ななりに、ヘルパーさんや家族の力を借りて生きていけると思っていた。

でも別れはあまりにも早く訪れた。

朝の5時ごろだった。車いすでトイレに「よっこらしょおおおお」と入り、ベッドに戻る途中に台所で手を洗い、タオルで手を拭いて座ろうとした時だったんだと思う。車いすから前のめりに転げ落ちた。

今度は、即死だった。

病院外での死亡ということで警察の検視を受けたが、解剖まではしなかった。だから正確な死因は分からないけど、多分2度目の脳出血だったんじゃないかと思っている。11月半ばのことだ。寒い朝だった。

以上が、脳幹部を含む脳内に 多発性海綿状血管腫を持っていた母の生涯だ。

繰り返しになるけど、脳海綿状血管腫を持っている人が必ずこうなるというわけじゃない、ってことは忘れないでね。

母のケースから強く感じたのは

高血圧になるリスクをいかに下げるか

というポイントだ。

注意ポイント

運動や食事に気をつけて、慢性疾患を抱えないように気をつけること

太ってる人は絶対にやせること

一生 薬を飲み続けなきゃ生きていけない、そんな身体になっちゃだめだよ。高血圧になる薬が含まれていても、飲みつづけないと生きていけなくなるから。

45キロもダイエットした私が言うのもナンだけど、肥満はダメ。万病の元。よかったら、私が45キロ落とした方法を書き続けているので、ダイエットが必要な方は開いてみて下さい!

健康というのは積み木のようなものだと私は思う。

積み木で家を作ったとしよう。そこから積み木をひとつ抜く。

運がよければ、家はびくともせずに建っていられる。壊れないかもしれない。

少し不安定になるだけで済むこともあるだろう。

けれど運が悪ければ、家ごと崩れてしまうことだってある。

自戒を込めて。これを読んで下さった同病者の方。慢性疾患を抱えないよう、薬の副作用で高血圧にならないよう、気をつけて下さいね。

 

万が一のために アフィとか度外視でこれを準備して下さい

母の時にはタクシー配車サービスアプリどころか、スマホすらがなかったのですが、今なら使えます。いざという時に、チンタラと電車やバスを乗り継いで、家族が救急搬送された病院にはいかないでしょう?タクシーじゃないですか?便利にお得に乗って下さい。紹介コード(UTK6NNF4) を入れたら1000円の割引券がもらえます。リンク先に具体的な手順を書きました。

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いめゆんな

多発性脳海綿状血管腫(家族性・脳幹部含む)を持つ軽度障害者です。与えられた身体や生活環境と折り合いをつけ、最大限の楽しみと幸せをつかみたい、と思いながら生きてきた半世紀を綴ってます。海外ひとり旅歴35年。京都大学卒。医学・医療系大学の講師です。

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