家族性多発性脳海綿状血管腫 振り返る過去・考える今 雑感

●脳幹部を含む多発性脳海綿状血管腫を持つ私の日常生活

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今回は、脳海綿状血管腫の一般的な知識じゃなく、私個人の症状・悩み・対処法を書いてみたいと思う。

脳海綿状血管腫のせいで私が困っている症状

この血管奇形は、いきなり大出血を起こすことは少なく、じわじわと出血し、じわじわと身体の機能を奪われていく。私の場合は多発性なので、次に出血したら何ができなくなるのか、医者にも本人にも分からない。とりあえず今現在の症状は主にこんな感じだ。

  1. 字が上手く書けない
  2. 頭の中に言葉が浮かばない
  3. 浮かんでも口に上手く伝達できない
  4. 右手足のごく軽い麻痺や感覚鈍磨
  5. 身体のバランスが悪い
  6. 手順を考えて物事を進めていくのが苦手
  7. だから大掃除ができない
  8. 車に乗れない

字が上手く書けない

1枚の封筒に宛先を書くのに5分くらいかかる。ペン習字のように、一画一画丁寧に時間を書けないと普通の字にならない。メモ書きの文字はもはや文字じゃなくて記号か汚れ。

かつての自分はどこに行ったんだろうな、と感情を動かすことなく思う。悲しいとか悔しいとかいう気持ちはない。この血管腫は私の場合は遺伝性。母がそうやってじわじわ壊れていく様子を見て育ったので、それが普通だと感じている。老化してくのと同じように、誰の人生にも訪れること。感覚としてはこんな感じ。

昔と違って手書きで何かを書く機会は、パソコンのお陰で随分減ったけど、それでも銀行の振り込み依頼書のようにその場で字を書かないといけない場面というのはまだまだある。あれは何のために書くんだろう。振り込み用紙の半券は銀行が切り取って保管するんだろうに。そこに振り込み人の名前も住所も金額も書いてあるだろうが。

これでも書道は5段だったんだよ。表彰状が沢山手元に残っている。今はもう見るも無残な字を書いてるけどね。でも、子供の頃に頑張ったことはムダだったとは思わない。むしろ頑張っていてよかったと思う。まだ血管腫が悪さをしなかった頃だからこそ達成できたことだ。自分の力を確認できるいい時代を過ごせて幸運だったなと思う。今の自分を支える心棒になっている。

ただ、たかだか封筒1枚書くのにかかる時間の長さには、ちょっとうんざりしてるのは事実だ。ちゃんと頭が動く時間が短いのに、こんな雑用にどんだけ時間を奪われてんだよ。

言葉が上手く話せない時がある

調子が悪い時は頭の中に浮かんでる言葉を口にすることができない。違う単語を話していることもある。さらに調子が悪くなると、頭の中から言葉が消える。言葉が消えてしまうと頭がとても静かな空間になる。普段いかに我々が無意識に言葉を脳内で反響させて生きてるかがよく分かる。

よくわかったところで全然メリットはない。日常生活に結構支障が出る。特に電話でのやり取りは最悪だ。相手が何を言ってくるか分からないから、とっさに適切な言葉を探さなきゃならん。時間がかかっても浮かべばまだいい。浮かばない時が最悪だ。身ぶり手ぶりでごまかすこともできず、相手に届くのは、おろおろしてマトモに話せない声だけだ。ドモるなんてレベルじゃない。相手の言葉の隙間に「あ・・」「え・・」と反応するので精一杯だ。

でも不思議なことに、こんな私は話すことを生業としている。「あー」とか「えー」という音を挟まず、立て板に水で90分、台本も全くない状態で緩急つけて話ができる。たまに言葉が浮かばないことがあるけれど、言葉を探している空白の時間を、なんとか上手くごまかす術を身に付けた。長年やってきたことなので、発症前の経験が生きてるんだと思う。

今は薬が上手く合ってるので、昔のように酷いことにはなってない。以前は病院に行っても症状をきちんと伝えられず、医者にナメられることも少なくなかった。ちゃんと話せない=バカ、って思われるんだよな。だから、テキトーなことをしても理解できねえ、ぞんざいに扱っても文句は言わねえ、そう思ってやがるんだろう。

一度、脳血管に問題がある人間には使っちゃいかん点滴を投与されたことがある。帰宅後脳圧が上がっているのに気づいた。頭が破裂しそうな圧力を感じる。すぐに病院に電話をしたら、めんどくさそうに看護師が私をあしらった。

出血したらどうするんだ、ちゃんと病名を書き、口頭でも伝えただろうが。医療事故を起こしたいのかオマエ。次の日にパソコンを使って、文字で伝えたいことを書いて無言で渡した。医者の表情がさっと変わり、言葉も敬語になった。やっと普通の患者レベルの対応ができる医師になったな。「医療事故にならなくて良かったですね先生」、この言葉だけはしっかりと言えるよう何度も練習していった。怯えた顔をして「すみません・・ほんとうにすみません」と頭を下げた時の顔、今でも忘れんわ。

これからは医療関係者の世話になることが増えるだろうから、言葉をきちんと話せないことは色々厄介だな。これは結構マジに悩んでいる。

きちんと歩けない 重たいものが持てない

身体のバランスがとりづらいのは、小脳に大小の血管腫があるせいだ。1つは結構大きい。1センチ程度はある。しかも、別の血管腫のせいで、右手足の力が少し弱い。要するに転倒リスクが高くなってるってことだ。今は薬で改善されているけれど、治ったわけではないので、薬が効かない時はふらふらと歩いている。念のため、外出時には折りたたみの杖を入れ、寝る時は別の杖を布団に沿わせておいてある。地震が起こった時にマトモに歩ける気がしないから。

重たいものを持てないのも困る。昔のように自分ひとりで部屋の模様替えができない。ちょっと重たいごみ袋を捨てにいくのも一苦労だ。階段を下りるわけではないけれど、エレベーターにたどり着くまで、そして降りてからゴミ捨て場に行くまでの5メートルがキツい。握力的にもそうだし、身体のバランスをとりづらいという点からもそうだ。

今は夫がいるからいい。でも将来私が遺されたら、うちはゴミ屋敷になるんじゃなかろうか。家の中で転倒事故を起こしそうだ。せめて今のうちに、持ち物を最小限にし、日常のゴミは小さいごみ袋に収まるような暮らしを徹底しなきゃならんな。

料理や片付けに困っている

症状が進んでから強く感じる。料理も片付けも段取り勝負だということを。きちんとできていた頃は、無意識のうちに、何をどの順番でやれば効率がいいかを計算して動いていたんだな。今はそれが大変だ。一々意識的に順番を考えないといけない。パソコンのWordに手順を打ち込んで頭を整理する必要がある。

こんな調子だから、ひとつのことを片付けるのに時間がかかり、脳が疲れ果てる前に休まないといかんのでさらに時間を食う。結果、一日にできることが少なくなり、非常に毎日が非効率すぎる。もう50歳を超えている私にとって、時間の有効活用は非常に重要な課題だというのに。このまま60台に突入したらどうなるんだろう。老化で体力も落ちてくるだろうし、出血個所も増えてるだろうから、できることは今よりもぐんと減っているんじゃないかと思う。

料理も問題だ。栄養バランスがいい食事をとらないと別の病気になってしまう。夫は料理ができないので、私の調子が悪い時はスーパーの総菜ばかりになる。夫婦そろって生活習慣病を発症したら目も当てられない。それに、惣菜ばっか買ってると食費もかさむんだ。

こんな身体だから介護費用は手厚く残しておきたいというのにな。自炊は大事だよ。何とかしたいな、といつも考え続けてるんだけど、効率的に物事を考える力が落ちてるから、結論がでないまま一日が終わるんだ。そのうち気づいたら人生も終わってそうで怖い怖い。

車に乗れないのは不便

私は沖縄リピーターで何度も何度も行くんだけどね。あそこは車がなかったら行けない場所が本当に沢山ある。車に乗せてもらうか、バスを乗り継いで行ったりする。離島だとバスが1日に数本なんてレベルなので非常に難儀する。

そして最近沢山記事にしてる台風被害の件。車があれば、家がぶっこわれても、冷房のある空間で暮らすことはできる。被害が少ない場所に移動することもできるだろう。買いだしもできるだろう。給水車の水を手で運ばずにも済む。

台風の進路が少しずれてたら・・と思うとマジ怖い。だから何度もブログ記事にしたし、ツイッターでも情報を積極的にリツイするようにしている。私と同じように車に乗れない人でも、情報があればなんとか工夫したり助けあったりして生き延びることができるんじゃないかと思って。

首都圏に住んでると車がなくても不便はない。でも、台風や地震がきて公共交通機関がやられたら、車に乗れない我が家の生活はいったいどうなるだろう。千葉の台風のブログ記事を書きながら、「これがもし私だったとしたら」とずっと思っている。

 

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幸いなことがあるとすれば

上を見ても下を見てもキリがないので、「こんなことを幸せがってるのかw」と人様は笑うかもしれない。でも、自分の人生なんだから自分が幸せがれる事があればそれが幸せな人生なんだよね。

  1. まだひとりで旅ができる
  2. 夫が私の病気やダメ主婦ぶりを責めない。
  3. 家で仕事をしているので、率先して主夫になってくれる
  4. まだ仕事をつづけられている
  5. やりたいことが沢山ある
  6. 話すのは苦手でも書くことには全く支障がない

 

まだそれなりにバックパッカーひとり旅ができる

本当は若い頃のように、パスポートとお金と少量の荷物だけ持って、ひらりと国境を越えて放浪してみたいんだけれど、今はもう危険すぎて無理だなと自分で分かる。なんせ言葉が出てこないんじゃ、英語で交渉することもできない。これは個人旅行をする上でかなり致命的。ナメられたら命が危ない。とても残念だけど、長期の気ままな放浪旅行は諦めた。それでも、漢字圏への旅は今でも大丈夫。台湾・香港・上海をひとりで旅してきた。

最近は沖縄の離島で自炊をし、静かなところで自分のペースで暮らす旅がメインになってきた。移動と刺激を楽しむ旅から、腰を据えて時間の流れを楽しむ旅へと変化した。これはこれでとても楽しい。こんな旅ができるうちに、目一杯好きなところに行こうと思っている。

夫は私の病気を責めたことがない。家事は率先して片付けてくれる

身体には恵まれんかったけど、夫には恵まれたな、と神様にはよく感謝している。夫の方は「とんでもないヤツと結婚してしまったな・・」と思ってるかも知れんけど、一切私を責めることなく、空気を吸うように家のことをせっせと片付けてくれる。

私の両親が仲良く同じ病室で重病人暮らしをしてたところへ、結婚前の夫を連れていったことがある。それを見て気持ちがぶれなかったのは大したもんだな・・と感心した。普通なら引く。あんな両親がついてくるのか、と及び腰になってても全然不思議じゃない状態だったのに。

今思えば、この人はあんまり先のことを考えないタイプで、考えたとしても悲観的なことを考えない。それが長所でもあり欠点でもある。自宅でこじんまりと仕事をしているので、空き時間に家事をしてくれる。その代わりに私が仕事の手伝いをすることもある。

じわじわ壊れていくスピードを遅くしたいなと思う。この人の人生まで壊したくない。

沖縄語を勉強するために沖縄の大学に通いたい ブログも続けたい ピアノをひきたい 絵を描きたい

元々言葉の覚えだけは早かったので、今でも新しい言葉を勉強するのが好きだ。文章を書くのは、私にとっては呼吸をするのと似た感覚だ。ただただ言葉を描き続けている。ピアノは小学生の時に何年か習った。市の合唱コンクールでピアノ伴奏をしたのは私だ。絵もよく描いた。絵も時々賞状をもらった。

どれも手の指を使う作業だね。だから指に麻痺が来ないことを切に切に願っている。

沖縄の大学には飛行機で通う。覚えても全然カネにならん言葉だ。沖縄県内でもどんどん話せる人が減っている言葉だというのに。でも楽しいんだよ。極めるところまでは無理でも、お年寄りと意思疎通ができるだけの読解力と会話力を身につけたい。趣味というのは基本的に、カネになるかどうかじゃなく、好きなことかどうかってのが大事なわけで。

ただ、飛行機というのは、気圧が地上の8割から9割しかない。その分、脳も少し膨張する。「普通に生活してていいですよー。飛行機も問題ない」と多くの医者に言われてきたけど、先日、沖縄にエイサー祭りを見にいったその帰りに、右手足の感覚が鈍くなってきて、そのまま自分で救急病院に突っ込んだ経緯がある。

原因が飛行機だったのか、それとも旅に出たタイミングでたまたま出血しただけなのか。医師にも分からん。私にもわからん。沖縄の大学に通う夢をどうしようか、今これも悩みの種だ。

 

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あなたの症状はどんな感じですか?

脳海綿状血管腫には、決まった症状ってのはない。脳のどこにブツがあるかによって、症状が出る場所も変わってくるからだ。手術をするかどうかも人それぞれ。取りやすい場所にあればいいけど、脳幹部にあるやつは恐ろしい。脳の中心だからね。後遺症は絶対ゼロじゃないし、表面の血管腫をとる時と比べモンにならん後遺症になる気がする。

薬で身体の症状が抑え切れてないので、時々開頭手術を提案されることがあるんだけどね。手術をした両親が見事に重度の障害者になってるのを見て育ったから、私は、少々不便なことがあっても、このまま薬で逃げ切りたいなと思ってる。今ならそれなりに自立生活ができるからね。まだやりたいことが沢山あるからね。

今日はダラダラと書いてみた。

 

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いめゆんな

多発性脳海綿状血管腫(家族性・脳幹部含む)を持つ軽度障害者です。与えられた身体や生活環境と折り合いをつけ、最大限の楽しみと幸せをつかみたい、と思いながら生きてきた半世紀を綴ってます。海外ひとり旅歴35年。京都大学卒。医学・医療系大学の講師です。

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