家族性多発性脳海綿状血管腫 振り返る過去・考える今 障害者の両親と共に

過去の栄光への正しいすがり方

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「こんなこともできなくなってしまったのか自分は・・」とショックを受けたことはないだろうか。私にはある。たくさんある。

たとえば。

頭の調子がよくない時の私は日本語でさえきちんと話せない。きちんと話せない奴は知能が低いと誤解されることが少なくない。医師の中にも私をバカ扱いする人がいて、いい加減な診療をされたり、乱暴な扱いを受けたりすることもある。

話せなくても知能は正常だということが伝わらない。不愉快なだけでなく危険なことでもある。

昔の私ならこんな思いをせずに済んだはずだ。私は言葉を覚えるのが早かったので、日本語はもちろんのこと、英語や中国語も話すことができた。だから、ひとりで海外を放浪しても言葉で困った記憶がない。そんな私はアンタごときに見下される人間じゃないんだよ。馬鹿にするな。

・・こういうのを「過去の栄光にすがる」っていうんだよね。口に出したら絶対に みっともない人認定されることだろう。

 

でも、過去の栄光にすがっちゃいけないんだろうか。本当にみっともなくてカッコ悪い行為なんだろうか。過去にすがることで得られる何かがあるんじゃなかろうか

 

過去の栄光にすがっていい。すがり方さえ間違わなければ

過去をみせびらかして 他人を不快にさせるのはみっともない

過去を見せびらかしてマウンティングをとろうとしてるなら笑われても仕方ない。退職して何年も経つのに「昔は大企業の重役をやっていた」だのと嬉しそうに言いながら偉そうな態度で人と接すれば、笑われて避けられるのは当然だ。不愉快に思われるのも当然だ。過去の自分しか語れない悲しい奴だと思われても仕方ない。

 

過去の栄光は心の中にしまおう

もし陰で「過去の栄光にすがってやがってw」と笑われてることに気づいたら、自分の行いを静かに反省しよう。もし怒りが収まらないなら、こう考えてみてはどうだろう。

あなたの素晴らしい過去を相手は無意識のうちに認めている。あなたの過去がショボかったら「栄光」という言葉は絶対に使わないはずだから。

「過去の栄光にすがりやがって」は 無意識の誉め言葉、ではある。ただし、言う方にとっても聞く方にとっても不愉快な誉め言葉だ。相手にそう言わせないよう、大切な過去の栄光はあなたの心の中に大切にしまっておこう。栄光と言わしめる過去は、あなたにとっての心の財産だ

 

自分を卑下するために使うのもやめよう

「昔はこんなことができたのに今の自分はなんて情けないんだ!」

「これは本当の自分じゃない!健康な身体を返せ!若さを返せ!自由を返せ!」

過去が眩(まぶ)しければ眩しいほど、今の自分が暗くてみじめに見える。持っているものを突然奪われたら誰だって激怒する。自然な感情だ。無理に抑え込まなくていい。

悔しいよ、私だって悔しい。でもね。

自分が努力して手に入れた宝物で自分を傷つける。こんな悲しいことはないと私は思うんだよ

硬くて綺麗なダイヤモンドは大切に飾っておくのがいい。決して心を削って穴をあけるのに使っちゃいけない

 

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なぜ 過去の栄光にすがるべきなのか

加齢・病気・障害は 自尊心を大なり小なり壊していく

歳をとること、病気になること、障害者になること。この3つに共通して言えるのは、できないことが増え、時には人を頼らねばならなくなり、世間の目が厳しくなりがちだってことだ。

人に迷惑を掛けなければ生きていけない。知らない人から笑いものにされる。嫌がらせを受ける。こんなことが続けば、誰だって自尊心が傷つく。プライドがずたずたになりはしないだろうか。

もちろん、歳をとることで得られる楽しみはたくさんあるだろう。病気や障害によって見えてくる世界があることも知っている。でも、得られるものよりも失うものの方がはるかに多いと、私は自らの経験から思っている。

両親が重度身体障害者になった時、世間は手のひらを返したように冷たくなった。

プライドが高かった父はその辛さに耐えきれず、何度か自殺を試みた。家の中で暴れたりもした。

言語機能をやられた母が絞り出すように口にした一言は「私は情けない。もう死んでしまいたい」だった。

病気を複数抱えた障害者が生きる世界は過酷だ。少なくともうちの両親に関してはそうだった。子供の私への風当たりでさえ厳しかった。

そして今では私自身が身体障害者だ。かつて京都大学に通っていた私の今は、ほぼ判読不可能な字を書き、暗算もできず、記憶はどんどんはがれ落ちていく障害者。昔の自分は雲の上の存在になってしまった。

しかも、脳血管奇形から出血する確率は歳をとるほど大きくなる。これから先、自分がどこまで壊れていくのか分からない。今の自分のことを「あの頃の自分はすごかったなあ・・」と思いだすような時代がくるかもしれない。

 

過去の栄光は 自己卑下したくなる気持ちを食いとめてくれる

そんな私が自暴自棄にならずにすんでいるのは、自分の中では栄光だと思っていることを利用して、自己評価を下げないように工夫してきたからだ。

馬鹿馬鹿しいと思われるだろうけど、私が心の中で考えていることを書いてみよう。

 

私の脳内に血管奇形ができてしまったのは遺伝。悪いのは親ではない。遺伝子だ。私が悪いわけではない。

私はダメな人間じゃない。元気な時はあんなこともこんなことも頑張ってきた。たとえささやかなものだとしても、人が笑うようなことだとしても、自分が栄光だと思うなら栄光であり人生の宝。私は自分の宝物を自分の手でつかみ取った。そんな私に生きる価値がないなんてことがあるか。

今の私は、あの頃の自分の延長線上にある。別人じゃない。宝物をつかみたくて頑張り続けていた時代は、まぎれもなく私の人生の一部分。卑下することは何もない。心の中で誇りに思って何が悪い。

悪いのは遺伝子。何度も言う。私は悪くない。ダメな人間じゃない。根本的にダメ人間だったのなら、宝物を手に入れることなどできるはずがない。

子供だましだと笑われようと、「今はどうせ障害者じゃないかw」と笑われようと。自分の価値は自分で決めるものだ。私の記憶の中から栄光と言う名の宝物を奪い取ることは誰にもできない。私が許さない。これを手に入れるのにどれほど苦労したか。簡単に手放したりするものか。

私の記憶がなくなるまで、宝物は私の中で輝き続ける。たとえそれがどんなにささやかなものだったとしても。

 

過去の栄光にすがること。過去の栄光を頼りにして自尊心を守ること。これのどこが悪いんだ。死にたくなるよりよっぽどマシだと思わないか。

 

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心と体に余裕があるなら 人のためにできることを探そう

他人様のご厄介になるばかりだと自分が情けなくなる。何のために生きているのか分からなくなる。

過去の栄光という宝物を利用するだけじゃなく、誰かのために何かできることがあれば、自尊心を破壊される被害は最小限で済む気がする。

ほんのささやかなことでいい。お金にならなくてもいい。何かないだろうか。

 

私はうまく話せない。手書きの字は読めない。機敏に動くこともできない。もの覚えも悪い。脳の疲れを取るために1日に10時間くらい寝てる。体調の波が大きいので、定期的に集まってなにかをするサークルやボランティアには不向きだ。元気な時から人づきあいは苦手。流行にうとい。お金に余裕があるわけでもない。

こんな私でもブログなら書ける。話さなくていい。キーボードが打てればそれでいい。座って作業できる。あやふやなことは調べればいい。何時に書いてもいい。ひとりでできる。流行を追う系のブログじゃなければネタに困らない。有料ブログを作っても支出は大した金額ではない。

 

もしこのブログの記事が誰かの心に刺さったら。誰かの役に立つことがあるならば。お役に立てた自分を誉めてやろうwと思ってる。それくらいの厚かましさがなければ、この世を楽しく生きていけないって思うわけよ私は。

 

自尊心は 人生を守るための大切な武器

自尊心を失って卑屈になると 人生は寂しく荒れ果ててしまう

私が両親の背中から、自分の人生を自分の力で守ることの大切さを学んだ。人生を台無しにしないようしっかりと守るために最も大切なものは何か。それは自尊心だと私は考える。自分には生きる価値があり、卑屈にならなくていいんだという自信は本当に大切。

よりよく生きていく上で大切なことはたくさんある。たとえば信頼できる友人、生活に必要なお金、家事能力、仕事のスキル、コミュニケーション能力、生き甲斐。

自尊心を失って卑屈でネガティブ思考な人になり下がったら、そういった大切なものをあなたはどんどん失ってしまう

人はあなたに寄りつかなくなる。自分を大切にしようと思わなくなる。そうすると、計画的にお金を使ったり、快適な生活を送れるよう家を整えたり、新しいことを学んだり、楽しみを見つけたりする気力が失せる。その先に待っているのは、孤独で不自由で荒れ果てた人生だ

 

大切な自尊心を守るために 過去の栄光という宝物を活かせ

自尊心を守るために過去の栄光が役に立つなら、どんどんすがって利用すればいいと思う。

病気や障害は自己評価をいちじるしく下げる。だから、健康な人以上に過去を上手に利用すべきだ。

世間があなたを見下すことがあったとしても、あなたは自分を見下してはいけない

法律に反しない限り、人の心を傷つけない限り、手段は何だって構わない。過去の自分を上手に活かせ。自尊心を保つ術(すべ)を持て

 

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いめゆんな

多発性脳海綿状血管腫(家族性・脳幹部含む)を持つ軽度障害者です。与えられた身体や生活環境と折り合いをつけ、最大限の楽しみと幸せをつかみたい、と思いながら生きてきた半世紀を綴ってます。海外ひとり旅歴35年。京都大学卒。医学・医療系大学の講師です。

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