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脳海綿状血管腫って何?

いつ死ぬか分からない脳海綿状血管腫患者が語る 重大な決断を正しく下す方法①

この記事は、命の期限が目の前にちらつき始めた人に向けて書こうと思っている。

病気に苦しむ人だけでなく

人生の折り返し地点に差し掛かる 健康な40代50代の皆さんに向けて書いている。

 

あなたはこんなことに悩んではいないだろうか。

  • 自分の人生はあと何年続くのだろう。
  • そのうち、健康で自立した生活ができるのは何年だ? 
  • 残された貴重な時間や体力を何にどう使えばいい?
  • 老後資金は大丈夫だろうか?
  • なるべく家族に迷惑をかけないように逝きたい
  • やり残した夢をかなえるにはどうすればいい?
  • 自分にとって大切なものは何だ?

少なくとも私はそうだった。

 

人生にマニュアルはない。模範解答もない。悔いを少なくしたいなら、あなたはどう生きていくべきなのか

 

「命を何に使うのか、よく考えて生きてください」 複数の医師が私にこう告げた

一般的な脳海綿状血管腫の多くは手術不要だったり、摘出しても比較的予後良好だと説明を受ける。

ところが、私の脳内にある脳海綿状血管腫は、今の医学では治療が不可能なタイプのものだ。すでに出血痕は100か所を超えている。そこに血管腫があるわけだ。全部切除しようとするならば、私の脳と脊髄はずたずたになってしまうことだろう。なんせ数が多すぎる。

出血した血管腫の場所が司っていた体の機能は少しずつ失われつつある。現在の私はは軽度障害者だ。

複数の医者は私にこう言った。

 

まだ分からないことが多いタイプの血管腫です。なので、具体的な禁止事項はない。何を禁止すればいいのか、まだはっきりとは言えないんですよ。ただ、出血リスクを減らすために、高血圧にだけは気を付けてくださいね。今、うちの大学(東京大学)では、患者さんから血液と細胞の提供を受け、この病気の研究を始めたばかりなんですよ。(私は血液と細胞を提供してきた。いつかその時の様子を記事にしたいと思う)

あなたの血管腫は脳や脊髄に散らばっていますから、手術で全部を摘出するのは不可能です。今のまま暮らすしかないんです。出てくる症状を薬で抑えられる限り抑え、QOL(生活の質)をどうやって保つかが大切です。

ただ、血管は年齢とともにもろくなります。あなたの血管腫は、少しずつ大きくなっています。将来のことは分かりません。人生をどう生きたいか。今を大切にしてください。

 

マニュアルはない。模範解答もない。学校の宿題と違って、何をどれだけいつまでに提出すればいいか誰も決めてくれない、ということか。家族が何人も同じ病気で苦しみ、短い命を散らすさまを見て育った私も、いざ自分の身に同じ問題が降りかかった時、想像以上に重い決断を強いられることに心がつぶれそうになった。

寿命が何年残っているか分からなければ、老後資金がいくら必要か決められない。人生で何をやりたいのかという問いに向き合わなければ、確実に減っていく命の時間に流され続け、やがては後悔をたくさん残して逝くことになるのだろう。

それは避けたい。

何のために私は苦労してここまで生きてきたんだ。同じ病気を持っていた家族の姿から、お前は何を学んだんだ。

 

自分の心の中に「ふたり目の私」を住まわせることにした

自分を客観的に見るところから問題解決は始まる。きっと病気もそうだ。自分のことを冷静に考えるために、ふたり目の自分を心の中に住まわせることにした。そいつが病気の私に話しかけ、返事が返ってきたら一緒に考え、アドバイスをする。ばかばかしいようだが、二人の自分と対話することで自分の深層心理を引き出そうとしたわけだ。

 

「お前は病気なのだから、世間の常識や他人の目など気にするな。何を口走っても構わない。家族が次々に脳血管奇形で障害者になるのを見てきただろ?その血管奇形をお前は遺伝で引き継いでしまった。恐怖や不安を感じないはずはない。出血したらどうなるか。一番よく分かってるのお前だ。本音を言え。私は絶対誰にも言わない。信用しろ。お前は私だ。

もう無理するな。半世紀の間、お前は本当によく頑張ったんだ。どれだけ頑張ったか、私は一番よく知っている。

そんなお前が、あと何年生きられるか分からない病気を持っている。長く生きられたとしても、体や頭がきちんと動く時間はどれだけあるだろう。

そんな体で生きてるんだ。何を願っても、それは贅沢でも甘えでもない。楽になれ。私が許す。かなえられる限りお前の夢は叶える。さあ、言え。もう我慢しなくていい。全部言え。な?」

 

ふたり目の私は、病んだ私に向かってそんな風に話しかけ続けた。

 

ふたり目の私の耳に、本来の私の声が聞こえ始めた

生い立ちのせいか、私は自分の本当の感情を表に出すことがとても苦手だ。だから相談相手は親友や夫であってはいけない。私はまた平気なふりをするに決まっている。「同じ経験をしたことがない人に、自分と同じ基準でものを考えろというのは酷だし不可能だ」と子供のころから思ってきた私だから。

粘り強く話しかけ続けた。無理しなくていい、健康な人だって、50を過ぎれば同じことを考えるらしいじゃないか。

そしてやっと、こんな声が聞こえてくるようになった。

  • 医学は年々進歩する。でも私が生きているうちに画期的な進歩は望めそうにない。私はどんどん壊れていく。怖い。
  • 私はいつどんな風に壊れていくんだろう。壊れ方によって、将来への準備が変わってくる。何をすればいいんだ?
  • 手術はできない。投薬治療には副作用がつきものだ。どの程度体をやられてしまうだろう。
  • 老後資金はどれくらい残せばいいんだろう。要介護度が高くなれば、手持ちのお金がいつかは尽きる。うちは夫婦の年齢差が大きくて、夫一人の年金で暮らす時間が普通のお宅よりずっと長い。
  • 動けなくなる前にやりたいことをやり尽くしたい。でも、完治して寿命が想像以上に長くなった時、お金を使いすぎて老後資金が枯渇しては大変だ。
  • そのためには、辛くても仕事を手放さないほうがいいのかな。なんだかんだ言って、毎月確実に入ってくる収入は魅力的だ。
  • いや、仕事のストレスが体に負担をかけることは目に見えている。通院や体調不良で職場に迷惑はかけられない。症状が悪化して、やりたいことをやらずに死んでしまうかもしれない。
  • 後悔はしたくない。でも自分にとって、後悔のない人生ってどんな人生のことなんだろう。
  • 夫は私の世話ができるだろうか。食事を作れず、家計管理を私に任せてきた夫は、私どころか自分の健康も守れなくなる。生活に困る。今のうちに何をどうしておけばいいだろう。
  • 仕事の契約更新時期が近付いてきた。まだ働ける。それなりに結果も出している。「やる」と答えたら契約は成立する。でも、血圧が上がり、帰宅が深夜になる仕事を続けていて大丈夫だろうか。

 

一番の問題は仕事の継続だった

「仕事を辞めたい。もう我慢できない。助けて。これ以上働くのはイヤだ。私は疲れた」

真っ先に心の奥から湧いて出たのはこの言葉だった。日に日にこの言葉には悲壮感が増してきた。そして、他の色々な問題の根っこには、仕事を引退するかどうかという問題の中にある。これを解決しない限り、私は人生の後半戦を幸せに生きていくことはできない。

学生時代からの夢をかなえて勝ち取った仕事。自分なりにプライドを賭けて35年も続けてきた仕事。これまで私の心を支えてきた太い柱。これをぶっこ抜くことは、私のアイデンティティが崩壊することを意味する。経済的にも厳しくなる。

辞めたいという叫びと、本当にいいのか?という言葉が衝突を起こし、先に進まなくなった。

そんな時、思いがけないことが立て続けに起こった。どちらも身震いするほどの恐怖感を私に与える出来事だ。

ふたり目の私は冷静に判断した。この問題に対して自分がどう思うか。これが答えだ。異論は許さない。

 

 

仕事を辞める決心をした2つの恐怖

 

何の前触れもなく右半身の感覚と言語機能を奪われそうになった

これといって血圧が上がることをしたわけではなかった。前触れもなかった。なのに段々と右半身の力が弱くなっていく。疲れているときに時々現れる症状だ。ところがその日は違った。症状はどんどん広がっていく。右手のひらが触っている服の手触りが分からない。てんかん発作が起こる前に感じる胸の下の気持ち悪さと焦げたようなにおいがする。

いつもとは違う。たぶんこれは血管腫のどれかが微出血を起こし始めているに違いない。

やがて言葉が浮かばなくなってきた。舌も回りにくい。運が悪いことに家には誰もいない。自分で話せるうちに、電話ができるうちに。スマホをたぐり寄せて救急車を呼んだら、脳外科の緊急外来がある病院へ搬送された。意識ははっきりしていたものの、MRIとCT撮影の結果分かったことは、数か月前に撮影した画像と比べて、血管腫が少し大きくなっているということだった。

幸いそれ以上症状が進むことがなく、私は数日の経過観察ののちに帰宅することができた。でも喜んではいけない。私は確実に壊れていることを思い知らされた。

私はこの病気に対してどこか鈍感なところがあった。血のつながった家族がみな脳海綿状血管腫を持ち、それを見ながら大きくなったからだろう。日常生活の一部として、病気は当たり前の存在だった。でも今回、麻痺が進むスピードの速さを自分の体で経験して気持ちが変わった。

 

これは余談だが、お薬手帳だけでなく、かかりつけの病院で撮影したMRI画像CDと、数日分の薬が入った袋を携帯しておくことの重要性を思い知った。数か月前のMRI画像と比較することで、あらたに出血した場所の特定ができ、どこの血管腫を経過観察すればいいのかの判断材料になったようだ。

薬を数日分入れていたこともラッキーだった。その脳外科には、私が普段飲んでいる薬の在庫がなかったからだ。私が飲んでるのは、主に脳神経の興奮を抑える薬、いわゆるてんかん薬。微妙な調整の末にやっとたどり着いた薬の組み合わせなので、てんかん薬なら何でもいいというわけにはいかない。薬がなかったら、体の麻痺だけでなく発作まで起こしていたかもしれない。

私が常に持ち歩いている医療情報セットについては別記事に書いた。脳血管疾患に限らず、持病を持っている人は、どうかぜひ読んでほしい。

 

 

「血管腫は脊髄にもたくさんありますよ」

その後、「脳とつながっている脊髄はどうなっているんだろう。脊髄を損傷したら下半身、ヘタしたら首から下の機能が全部やられてしまうらしいじゃないか」という恐怖感が消えなくなった。

今までは首から上のMRIしか撮影したことがなかったため、緊急入院した病院で紹介状を書いてもらい、大学病院で精密な脊髄MRIをお願いした。そして根性を据えて検査に臨み、結果を聞く日を迎えた。

 

「残念なことですが・・首のあたりから腹部の高さまで、血管腫はいくつもあります。例えば首のあたりの黒く映っている点は、4mmの血管腫です」

「もしここから大きい出血を起こすとどうなりますか?」

腕から下の機能は失われます。排泄機能も含めてです

 

じりじりと焦げるほどの暑さの中、私は寒さに震えながら家に帰った。

 

辞めよう。

キリのいい35年で仕事を辞めよう。

老後のために、動ける「今」を犠牲にするのは馬鹿げている。

 

体の機能が少しずつ落ちているので、あれこれ用事をこなすのに時間がかかる。仕事をしている時間も惜しい。

私にでも作れる減塩料理を覚え、血圧を下げる健康的で穏やかな暮らしをするためにも、私にはゆったりした時間が必要だ。

そして、大好きな仕事だからこそ、「辞めてくれ」と迷惑がられて追い出される前に、自分からキレイに職場を去りたい。

まだ私にそれなりの需要があるうちに、「惜しい」と言ってくれる人がいるうちに、小さくてささやかな自己満足でもいい、キレイな花道を歩いて私は引退したい。

それに、退職すれば仕事による高血圧は起こらない。何十年続けても、仕事中はエキサイトして血圧が高くなる。辞めれば高血圧リスク要因が1つ減るじゃないか。

 

手術などの根治治療がない血管奇形と共に暮らす以上、寿命を延ばすために切り捨てねばならないものがある。

悲しいけれど仕方ないことだ。

人は与えられた体で生きていくしか道はない。

 

 

病人だけではない。仕事だけではない。50代は自分の本音と向き合う時期だ

長くなったので、次の記事に書いてみようと思う。

50代半ば・治療法がない脳血管奇形を持つ障害者として、人生の後半戦を長く楽しむのにはコツがいる。

健康な人でもそろそろ自分の老後が心配になる時期じゃないだろうか。

50代は人生の分岐点。自分の本音ととことん向き合うことで、幸せな老後への切符が手に入るのではないかと私は考える。

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ちーでる

多発性脳海綿状血管腫(家族性・脳幹部含む)を持つ軽度障害者です。与えられた身体や生活環境と折り合いをつけ、最大限の楽しみと幸せをつかみたい、と思いながら生きてきた半世紀を綴ってます。海外ひとり旅歴35年。京都大学卒。医学・医療系大学の講師をしてきましたが、新しい暮らしをしてみたくて退職しました。これからの人生を少しでも楽しいものにしたいです。

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