ポイントを貯めてお得な暮らし

時には色々考える 障害者家庭で育った私

君を傷つけても君が欲しかった

さだまさし さん の歌に「October~リリー・カサブランカ~」という美しい曲がある。リリーカサブランカってのはユリの一種。とても甘い香りがする。歌詞の要旨は以下の通りだ。

あの頃の自分は君を傷つけても君が欲しかった。別れの言葉も君に言わせてしまった。酷いことをした。そんな自分が、いまさら君の幸せを祈っていると口にするなんて綺麗ごとかも知れないけれど。元気だろうか、幸せだろうか。今日は君の誕生日だ。

シチュエーションの違いはあるけれど、同じような言葉を受け取る機会があり、その後に考えたあれこれを書き残してみたいと思う。かなりの長文になっている。

話は18歳だった頃から始まる。私は重度障害者の両親と中学生の弟と暮らしていた。両親は家にいるよりも入院している方が長かった。受験勉強と家事、そして子供だけで暮らしているに等しい我が家には、宗教の勧誘だの煩わしい親戚関係などが入り込んでくる。みんな我が家の足元を見て狼藉の限りを尽くす。激しく迷惑な過干渉を一手に仕切るのは長女である私の役割だった。特に創価学会関係の人たちには本当に手を焼いた

しかも、時々退院してくる父は精神的に非常に不安定。機嫌がいいのは久しぶりに顔を合わせる1日目だけ。あとはどうでもいいことをきっかけにして、延々と女の家族に激しい暴言を吐きまくる。母が在宅の時は母が、いないときは私がターゲットになっていた。扱いを間違うと一晩中続くので夜は寝られない。受験勉強をしてる私の背中を物干しざおで突きまくることもあった。

ほとほと疲れた。けれど、父が障害者になってから12年。私はここまで道を外すことなく生きてきた。ここで家庭環境に殺されてたまるか。私は大学に進学して自分の力で将来を拓きたい。けれど流石に疲れた。一時(ひととき)でも構わない。辛さを忘れる場所はないか。

友人も受験生だ。しかもいわゆる進学校に通っていた私の周りは、家庭的に恵まれた子ばかり。家庭的になにがしか問題がある子もいたけれど、私の話は彼ら彼女らの理解を越えていたようだ。健全なところに救いを見出すことができないまま私は受験勉強を続けざるを得なかった。

女子高生だからこそ見つけられる救いの道がある。少々容姿に難があろうと女子高生というブランドは強い。ゲスい男の劣情を誘うに十分な条件だ。しかも私は学区のトップ校に通う現役女子高生。男の征服心を満足させることもできそうなレア物件だともいえる。

しかし見ず知らずの男に手を伸ばすことは一切考えていなかった。ケータイどころかインターネットもなかった時代。知らない男と出会う窓口がない。ヤバい男がたむろってる場所に実際に行かなければ出会えない。これはあまりにもリスクが高い。

当時の私はそこまで計算づくで動いていたわけではない。計算ができるほどの余裕も残っていなかった。ほんのり灯りが見える方向に本能的に引き寄せられていっただけに過ぎない。

連絡を取ったのはかつての同級生だ。10代前半の頃は、お互いに好意を持っていた男でもある。何をいまさら状態だけど、身元が分かっている分、安全ではある。10代後半。ほぼ男子校状態の学校に通っている。固く愛する彼女がいなければ、据え膳を食いに出てくる可能性がある。

哀しいことではあるけれど、案の定そういうことになった。とはいえ、服は脱いでいない。根は悪い男じゃない。私がイヤだと言ったことはしなかった。火照った理性を途中で冷ますのは大変だったかもしれん(笑)

「私が会いたいといったのは、昔の恋心が残っているからだろう」と男は思っていたに違いない。つらいとこだけど、否定はしない。楽しかった思い出は生き生きと心に残っている。

でもな、あんなみっともないことをしたのには、私なりに切迫した事情があったんだよ。

不適切な逢瀬を繰り返していた数か月。据え膳を大切にする男はいない。こちらの事情をよく知らないんだからなおさらだ。

自分がとてもみじめなことをしていると分かっていた。みじめなことを続けていくと自己評価が下がり、無力感が増す。そしてさらに何かに縋らねば生きていけなくなる。悪循環だ。

家の中は病と暴言と虐待。対外的には障害者家庭の高学歴な娘。世間が私にどういう人物像を描いているかよく分かっていた。過酷な家庭環境に負けず懸命に頑張った立派な娘。そんなところだろう。

グレて道を外すことができてたら短期的には楽になれる。それができないなら、一念発起してこの情けない男女関係は断ち切らねばならない。

幸か不幸か、こちらから連絡を取らないと会えない男だった。もう私に真剣な思いを持っていないんだから当然だ。しかも、部活にのめりこんでいるその男は日々忙しい。「もう連絡は取らないでおこう」と決めた後は、あと腐れなく逢瀬が終わった。

とはいえ、家庭環境の苦しさは相変わらずだ。そこに「やっぱり私には女性としての魅力がなかったんだよな」という2つ目の苦しみが追加されるだけに終わった。毎日どくどくと心から血が流れて死にそうになっている。心だけならまだいい。身体が死んでしまう前に何とかしなければいけない。

でも、どうすればいいんだ。

考えて考えて考え抜いた末、私はパスポートを取得することにした。

障害者の娘、高偏差値の国公立四年生大学に現役で合格した娘。そういう世間の目が一切及ばない場所で、私は自分を客観視し、生きていく力や価値観を磨こうと決めた。海外に出れば大学名を聞かれることもない。どんな生活をしているのかを知られる恐れもない。私という素の人間で勝負ができる。そう思ったんだよね。

情報が少なく個人旅行が難しい旧ソ連、シルクロードの奥地、タイの山岳民族の村など、日本とは正反対の国に挑んだ。19歳の秋から26歳くらいまで続けた。当時の日本はバブル期だ。きれいな服を着て美しい髪をなびかせている同世代の女の子たちの中で、私は相当異端な娘時代を送り続けた。バイトや仕事でお金を貯め、老後のための年金保険の掛け金を払い、残りを旅費にし、くせ毛をざくっ!と束ね、最低限の荷物を持ち、何度も国境を越えた。

本もたくさん読んだ。友人との交流も大事にしたけれど、私の経験や当時の境遇を理解できる子は見つからなかった。仕方なく19歳後半からの私は、主に旅と書物から人生の柱を探し続けた。容姿に構う暇もなく崖を登り続けた時代だった。無我夢中で自分の人生の柱や心の軸を立てては壊し、立てては壊しの試行錯誤を続けた果て、やっと「多分これだ」と思える時がきた。

不思議なもので、自分の軸が定まった時期に出会う男は、私を大切にしてくれる人ばかりになった。安いものは粗末に扱うけど、高価な品物は大切にする。そういう心理は人間相手にもあるんだろうね、きっと。そのうちの一人と結婚をし、先日銀婚式を迎えた。

先日、実に偶然なことにネット上でその男を見つけた。

9年前にガンを発症。過酷な治療の末に多くの内臓機能を損ない、全身の筋肉が拘縮(うまく伸ばせない)状態になり、歩くのもやっとな生活をしているという。掲載されていた媒体は、よりによって聖教新聞のネット版。男は役職つきの学会員になっていた。

いい思い出と苦い思い出の半々を抱きつつも、時の流れと共に忘れていった男との突然の再会。薬の副作用で顔が全然変わっているけれど、珍しい苗字と年齢が合致する。本人だ。

さてどうする。心が2つに割れた。19歳の頃の自分と今の自分の2つだ。

自分から飛び込んだとはいえ、結果的に性欲のはけ口になっていた19歳の自分は、また心から血を流し始めた。

一方、人生も半世紀を過ぎた今の自分は、かつて楽しい時を重ねたことがある人が、うちの両親と同じような症状で苦しんでいる様子が心配になっていた。男は身体障害者でもあった。

相反する気持ちをどうするか。

相手は創価学会の役付き信者だ。子供時代に我が家で暴れまわっていた親戚も学会信者。連絡をとったら勧誘に遭う可能性が高い。少し残っていた美しい思い出は完全に消えてしまうだろう。会わないのが正解だ。

けれど私は敢えて、この人を探そうと思った。

19歳の時と違って苦しみから逃げたいからではない。夫は非常に私を大切にしてくれるので家庭に一切の不満はない。なのになぜ・・?今もって自分でも分からない。強いていうなら、19歳の私を楽にしてやりたかったからかもしれない。釈明の機会があれば嬉しい。あなたに醜態をさらしたのは私の本意じゃない。あなたに未練があったからじゃない。私はそんな人間じゃない。

今更何を言うw と今の私は19歳の私を笑った。

でも、心の中で19歳の私が叫んでいる。釈明をさせてくれと。

「ヤリ捨てた女のことをどれだけ覚えてるか分かったもんじゃねえよ?それでも会うか?」

19歳の自分がうなづいた。仕方ない。リスク覚悟で連絡を取ることにした。上手に立ち回れば、今の私がやろうとしているお見舞いの一言を伝えることもできるしな、と思いつつ。

知り合いの学会員経由で聖教新聞の記者を探し当てた。そこから先は早かった。本人から突然連絡が届き、携帯・LINEのいずれからも連絡が取れる状態になった。

かなりかすれているが昔の声の名残は残っている。本人だ。口調も変わってない。19歳の自分が舞い上がる。元気そうだと安堵しつつも警戒する今の自分。

意図したわけではないんだけど、ぽろっと「脳血管からの出血がいつ起こるか分からないので、余命を気にしながら暮らしてる」などと言ってしまった。その後のやりとりは日蓮とかナンミョーホーレンゲーキョーの素晴らしさに切り替わった。まあ当然だ。

しかしここで引いちゃだめだ。相手のペースに乗ってはいけない。「あなたの信仰は尊重するが、私が作り上げてきた人生の軸(自分にとっての拠り所・神)も尊重してもらいたい」と言い続けた。勧誘のネタを増やすだけだろうなとは思いつつ、敢えてこのブログの存在も教えた。障害者の両親のもとで育った生い立ちが綴られている。不幸感満載だと思う。

相手が別の学会員だったらそんなリスクは冒さない。じゃあなぜ今回は・・?

思うに、19歳の自分が「あなたが遊んだあの頃の私は、こういう背景で育ってきた。安易な気持ちであなたを誘ったんじゃない」と伝えたがっていたからだと思う。

案の定、メールの内容が変わってきた。ブログは全部読んだようで、書かれていた内容を踏まえた文章が届く。そして、自分の生活がどれだけ不自由で大変かを書いて送ってくることも増えた。「あんまり勧誘をするならもう連絡は要らないからな」と釘を刺したので、日蓮とか「お題目を唱えて病気が治った」系の話題は鳴りをひそめた。

19歳の私は、その男の近況を知ることができて喜んだ。その一方で今の私は、「このやりとりの落としどころはどこだろう」と考えるようになった。事あるごとに「私は入信しない。過去に学会員にはひどい目にあわされた。これまでの人生で苦労して作り上げてきた私なりの神(価値観や生き方の柱)を信じてこれからも生きていく」と言い続けている。いつかはやりとりが途切れるはずだ。勧誘しても無駄だと分かれば去っていくだろう。連絡が途切れる前に、私は19歳の自分のために何をしてやればいいんだろうか。

電話でやり取りをしていたある日。実はその前日に、脳海綿状血管腫からごく微量の出血を起こしたようで、私は念のために病院にいた。電話でのやり取りが始まったのは夜の8時半。消灯まで30分。ガンで長い入院生活を送っていた男が、消灯時間を知らないはずはない。男にはあらかじめ私の体調を伝えてある。

さて、どうくるか。

テンション高く「今日の聖教新聞に脳の難病について書いてある記事がある。送ろう」「ナンミョーホーレンゲーキョーを科学的に分析した本もある」ときたもんだよ。ダメだこれは。入院患者にいきなり何を言ってるんだこいつは。これまではのらりくらりとかわしてきたけど、もう耐えられない。創価学会ネタはもういい。縁を切る!

なあ、19歳の私よ。この男は今こんなことをするようになってるんだけど、それでもまだやり取りを続けたいか?声を聞きたいか?

「何でも言っていいから。それで君が救われるなら、人の役に立ったってことで僕も嬉しい。win-winやね♪」

とも言ってるけどさ。私、全然救われてないんだよ。

・・もう気が済んだだろ?止めようぜ。その代わり1度だけ、あの頃言いたかったことをぶちまけていい。怒りや悲しみを伝えていい。許す。身体を貸す。あとの責任は私がとるからメールを打て。

詳しいことはここに書かないけど、「これ、あとでどうフォローすればいいんだよwwww人格崩壊っぷりが酷すぎるw」なハイテンションで一気に文章が作成されていく。そこまで責めるのか。これは困った。でもアレだよ、何でも言っていいって言ったからw。人の役に立ってwin-winだって言ってたしw ・・そう言いつくろわなければ、この歳になってこんなことはさすがに(泣

・・冷静に要旨をまとめるならこうだ。

あなたが性欲のはけ口を求めて私と会ってたことは分かってた。それでもあなたと会い続けてたのは、あなたへの未練ではない。家庭環境の過酷さに耐えられなかった私の弱い心が原因だ。ブログを読んだなら、私の成育歴は十分分かってると思うけど

原文は、非常に細かい具体例を挙げて、あの時私はこんな風に感じた。それから、あれはどういう積もりだったんだ? みたいなことになっていた。もう忘れてるだろうよ・・とため息をつきながら、19歳の自分を供養するつもりで送信ボタンを押してしまった。

送信から数時間後。返事が来た。

過去を謝ると、あなたの思い出を壊してしまうだろうと思って悩んでた。でも、過去をなあなあにしてやり取りを続けるのは良くない。真摯に正直に言います。若気の至りだったとはいえ、お詫びをします。ごめんなさい

今の私は「私も悪かったんだから、今となっては両成敗。もういいよ、仕方ないよ、若さってバカさ。お互い様だよ」と思うだけだ。というか、逆に私がごめんなさいと言うべきかもしれない。

19歳の私は、「分かってたよ。でもさ、文字になって返ってきたらショックが半端ない!」と震える手足で踏ん張っていた。だから止めとけって言ったのに。

こんな流れになってきたら、相手も居心地が悪くなってきただろう。やりとりも終わりが近いんじゃないかと思う。何か伝え忘れはないだろうか。

お見舞いの言葉は伝えた。これで今の私は満足。

男の近況は、彼自身がたくさんしゃべってた。私が気になったのは主に体調面。

  • 日々の生活や老後資金が心配なので、障害者雇用で仕事を続けている。制度が整っていない中で働くのは大変。自分の専門性が活かせない仕事でもあるし。
  • 10分の距離を30分かけて歩いて職場に向かう。しかも途中で椅子に腰かけて休憩が要る。手も動かしづらいから傘がさせない。雨の日はずぶぬれで会社に到着。
  • 腎臓は透析が必要。本当に仕事を辞めようかと悩んだけど、生活を考えると踏み切れなかった。他の臓器も薬の副作用などでボロボロになっている。

19歳以降の私がどんな風に暮らしてきたか、もうちょっとだけ書いておくかな。勧誘ネタにならない範囲で慎重に。

そういや以前に「どんな人と結婚したのか教えて欲しい」と言われたことがあった。「どんな出会いだったのかも知りたい」と言われたっけ。当たり障りのない範囲で答えたら、「よかった。幸せになってたんだね。安心した。ホッとした」「これからもずっと、君の幸せを祈っている」と返事が来たな。

宗教がらみじゃなかったら素直に受け止められるのにな。勧誘・感傷、どっちのスタンスで話しているのか分からない。そもそも、少し付き合った過去はあるとはいえ、

その後ヤリ目で会ってた女の結婚相手なんて誰だってよかろうが。どんな出会い方をしてたってアンタには関係ないことだよ。それって勧誘に使えるネタか?知ってどうする?

 

ま、勧誘なのか感傷なのかどっちでもいいや。私は引っ越しが多かったから同窓会とほぼ縁がない。「そういえばあの子はどうしてるの?」と言われてるみたいだから、この男へ簡単に近況を伝えておくか。

書いたのはだいたいこんな感じのことだ。

  • あなたの暮らしについて色々聞いたから、私も少し話しておくね。
  • 19歳の時から始めた海外ひとり旅は今も続けてるんだ。脳血管奇形が少し大きくなってるから、ちょっと体の自由度は下がってるけど、国内旅行なら一人で余裕。沖縄の離島で家を貸し切ってだらだらと本を読んで暮らすのが好き。
  • 夫は家事全般大丈夫だし、「君の自由に生きていい。後悔のない人生を送るといい。僕は自分のことは自分でできる。お互いに幸せに暮らせる道を歩もうな」と言ってるから、なかったに等しい少女時代を楽しんでるw
  • 結婚してから表情が穏やかになったよね、ってよく言われるんだよ。
  • 若い時は、自分はどう生きたらいいのか、家庭の問題をどう処理したらいいか、本当に色々考えた。でもそのおかげで、今の自分には人生の指針とか軸とか柱のようなものがしっかりできあがった気がしてるんだ。結果オーライだよね。
  • バブル期にバイトをして年金保険に入ったんだ。これで老後は助かるよ。利率が凄く高かったもんね、あの頃は。
  • ブログを読んでくれたのなら、私の生い立ちも分かったよね?申し訳ないけど、あなたの人生経験で私を説得するのは無理だと思う。限られた体力と気力は、他の信者さん候補に向けたほうがあなたが楽になる。
  • ギラギラした善意は人をひるませるから気をつけなよ。時として人を傷つたりもする。あなたも障害者になったんだから分かると思うんだけど、「この人は助けなければ!」「かわいそうな人!」と言われたらどう思う?人に助けてもらいたいかどうかを決めるのは自分自身だよ。
  • 身体のことを考えて仕事は辞めたけど、悔いはないんだ。人の役に立ったっていう自負があるからさ、すごくささやかでも。
  • 私は創価学会には入らないけど、あなたの健康と長生きを祈ってるよ。祈る方法と言葉は人それぞれでいいと思うんだよね。

 

送信して数日。今まではすぐに届いた返信がまだ来ない。もうずーっと来ない気もする。だとしたらこれでさようならだ。残念だけど仕方ない。

もう昔のように、不適切に誰かを追い求めて一時の安心感を得る必要はない。ただ、同じような病状の家族を持っていた私は、その男と病友になれる余地はあったかもしれない。

聖教新聞の切り抜きだの本だのを送り付けようとしなければ、あのまま安定飛行でやり取りを続けていたのかもしれない。少し残念な気がしなくもない。

信頼できる家族がいたとしても、病気のことを全部は伝えることができない。近しいからこそ心配を掛けたくないという気持ちが働くからだ。

だから、病友ってのは、いるとありがたいんだよね。・・でも、勧誘目的なんだったら、このままさようならでいたほうがいい。

 

19歳の私が叫んでる。

ヤリ捨てやがってばかやろーっ!私はこんなに幸せになったんだからなああああっ!私もうかつだったんだけど、それでもばかやろーっw

 

今の私が呟いている。

  • 今の生活はこんな感じで平穏だけど楽しいから、私のことは放っておいて大丈夫!
  • 私の幸せを創価学会で祈ってくれるのは嬉しいけど、あなたは大病をしたんだから、まずは自分の暮らしと命を大切にしないと。
  • 勧誘方法も変えたほうがいいと思う。私以外に、あなたの声を待ってる人がたくさんいるんじゃないかな。あなたは大病して死にそうな思いをし、私が知らない体験をたくさんしてると思うけどね。
  • 分かってるけどね。でもあなたの人生はそれまで多分順風満帆だったと思うから、私を勧誘して信者にするのは無理だと思う。人生の説得力が違うって思うんだ。ごめんこんな失礼な言い方で

って書きたかったんだけど、ちゃんと伝わってるかな。

「アンタが見向きもしなかったあの女は、今はこんなに幸せになったんだぜw 見返してやったわ、わはははははw」じゃないからね。人生の浮沈はいつどこで起こるか分からないんだから、マウントとったって意味ないもん。

19歳の私の願いは確かに叶ったんだけども、今の私の心は晴れない。

私は絶対に幸せになるんだから!こんなみじめな姿でアンタに会わなくて済むように頑張るんだから!悲しかったんだから!私に非があるから余計に悲しかったんだから!

こんな生々しい気持ちが全くない今の私にとっては、19歳の私には、さっさと成仏して私の心の中から出てってもらいたい。

 

<この記事にはコメントをつけないでいただけると嬉しいです>

2+
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

ちーでる

多発性脳海綿状血管腫(家族性・脳幹部含む)を持つ軽度障害者です。与えられた身体や生活環境と折り合いをつけ、最大限の楽しみと幸せをつかみたい、と思いながら生きてきた半世紀を綴ってます。海外ひとり旅歴35年。京都大学卒。医学・医療系大学の講師をしてきましたが、新しい暮らしをしてみたくて退職しました。これからの人生を少しでも楽しいものにしたいです。

-時には色々考える, 障害者家庭で育った私

Copyright© *ちーでる* は脳海綿状血管腫と共に半世紀 , 2020 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.