健康管理は大切 家族性多発性脳海綿状血管腫 振り返る過去・考える今

●脳海綿状血管腫を持つ人向け 生活上の注意点と私の発症記録

ad

前回の記事では「血管腫です」と正式に診断されるまでに、病院でどんなことが行われるのかをまとめました。

●脳海綿状血管腫を持つ私達家族が受けた治療

脳海綿状血管腫とは何か。発症率・原因・症状・治療法・予後についてまとめました。 私は「家族性多発性脳海綿状血管腫」という遺伝性の海綿状血管腫を持っている患者です。私と弟は母からの遺伝、娘は私からの遺伝 ...

続きを見る

この記事では、病院の外でわたし達が気をつけないといけないことをまとめていきます。

健康は病院や薬まかせでは守れません。脳海綿状血管腫というのは、薬を飲んで治せる疾患じゃありません。場所によっては手術による後遺症が残ります。手術すらできないケースだってあります。確率は高くないですが、手術をすることで症状が悪化したり命を落とす人もいます。

じわじわとした出血をくりかえして奇形部位は大きくなっていく。数が増えていく人もいる。だからこそ日常生活をただして、進行をゆっくりスピードにしてやらねばなりません。あなたもそう思いませんか?

ここまで書いてきた私自身も家族性多発性脳海綿状血管奇形の患者です。この記事の後半に、私自身の病状がどう変化していったかの記録をまとめておこうと思います。

結論から言います。薬を飲んでも症状は抑え切れてません。何度か手術の話も出ましたが、このまま投薬治療で人生を逃げ切ってやろうと思ってます。無理をすればなんとかぎりぎり健常者のふりをすることができるからです。

手術が成功するとは限りません(成功だと聞かされたのに視野が半分になった人・うつ病になった人などをみてきました)。そして、能動静脈奇形だった父・脳海綿状血管腫だった母と弟の姿。みんな不自由な生活を強いられ、両親は若くして亡くなりました。だからこの血管奇形に対して、私は最悪の事態を想定して暮らしています

これ以上身体が動かなくなれば、私はこの家で暮らせなくなるでしょう。仕事もできなくなります。大好きなひとり旅は、今でさえギリギリ可能なレベル。これ以上悪化したら、私はひとりで旅をすることができなくなってしまう。そんな人生はイヤなんです。

悪化したらその時にまた考えるつもりです。そこまでは、健常者を装える障害者、という立場で生きていきたいと思ってます。

 

目次

脳海綿状血管腫を持つ人が日常生活で気をつけたいこと

経過観察と言われたら 定期健診は絶対に受けましょう

経過観察というのは無罪放免という意味じゃありません。相手は脳です。出血が小さくても、その場所がつかさどっている部分に麻痺が出たり、機能を失ってしまいます。絶対に軽く考えちゃだめですよ。

高血圧にならないよう気をつけて

血圧が上がると血管が破れやすくなりますよね。だから高血圧にならないよう、生活習慣を整えることも大切。

薬によっては、副作用で血圧が上がるものがあります。だから、生活習慣病にならないように気をつける必要もあるでしょう。高血圧を起こす薬が含まれていても、飲まないわけにいかないじゃないですか。

うちの母はネフローゼ症候群で腎臓を壊し、その治療のために飲んでいた薬の副作用で高血圧になりました。そして血管腫から大きな出血を起こし、植物人間状態になっています。

病院でもよく言われています。日常生活に特別制限はないけど、血圧だけは気をつけてくれと

寝不足も避けましょう

これも病院で念を押されていることです。寝不足をするなと。起きていては脳が休まりません

頭が混乱してきた時は、なるべく寝るようにしています。我慢して起きていたら混乱がひどくなり、いきなり意識が切れてしまうんですよね。眠気はないんです。気絶してるのかもしれません(笑)

脳を休ませてあげましょう。

疲れた時にすぐ眠れるよう、仕事は最小限まで減らしました。好きな仕事なので完全に手放したくはないんです。強制的セミリタイア状態です。

他の病気・手術・出産の際にも、医師に必ず血管腫の存在を伝えましょう

私は数年前に子宮筋腫全摘手術を受けたんですが、「硬膜外注射で麻酔が打てるかどうか心配なので、脳と脊髄のMRI画像を撮影します」と言われました。残念ながら血管腫が脊髄にもあることが分かり、硬膜外注射を打つことができず、麻酔が切れた後に強い痛みに襲われました。

突発性難聴にかかった時に点滴治療を受けたんですが、そのあと以上に血圧が上昇して頭が破裂しそうな感覚になったことがあります。一体どんな点滴を打ってるのか、スマホで撮影して名前を確認したら、脳血管に問題がある人には使わないようにという指示がある点滴液でした。脳血管腫があると事前に伝えていたのですが、患者の話をちゃんと聞いていなかったか、不勉強だったのでしょう。

妊娠中のホルモンバランスの変化によって、血管腫から出血しやすくなる(特に最初の3カ月)といわれています。助言として書かれていたのは

  • 脳外科・産婦人科・麻酔科の連携が必要(総合病院でないとダメですね)
  • 出産は帝王切開で

の2点でした。

以上は私の例ですが、脳に血管腫があることを伝えておかねばならない病気はたくさんあると思います。念のため、どんな病気の時にも、「血管腫があります」と私は医師に直接伝えるようにしています(問診票にも書きますが、読まれてないことが少なくないです)。

 

ad

私が 家族性多発性脳海綿状血管腫 と診断されるまで そして その後

20歳頃 字が歪むようになる

「最近 縦に字を書くと、右へ右へと曲がっていくようになったな。横棒を書くと左に下がるし」と感じるようになったんです。病院に行くか相談したんですが、「アンタはすぐに病院に行きたがる。大丈夫だから止めておきなさい」と笑い飛ばされました。

大学受験までと違って字を書く時間が短くなったので、書かないからヘタになっただけかな?くらいで流してきたんです。

30歳 市の脳ドッグを検診

ところがその後、母や弟が次々と脳出血で倒れてしまいます。さすがに「私にも何か遺伝してるんじゃないか?」と思い始めました。30歳になると市の健康診断に脳ドッグのオプションをつけられることになっていたので、いい機会だから受けてみました。

ぼわあっとした断層写真を見ながら「どこも悪くない」と医師が一言で説明しました。手元に画像がないんですけど、今思えば、あの撮影法だと脳海綿状血管腫の出血痕は写らないだろうな、と感じています。結果に一安心する一方で、家族に複数の血管腫患者がいるんだから、遺伝性の何かだったら、私にも何かあると思った方がいいと思いました。

33歳 自ら脳外科専門病院へ 海綿状血管腫が複数発見される

33歳になって一段と字が下手になってきました。自分の字じゃないと情けなくなるほどに。私は書道5段なんですが、走り書きのような字しか書けなくなりました。少し書いていると手が疲れてきます。絶対におかしい。脳の中に何かある。急いで脳外科に行き、CTとMRIを撮影してもらいました。

その時はじめて知りました。MRIの撮影法は複数あるんだということを。

血管腫の出血痕が分かりやすいT2*なんとかという画像を見せられ、脳内に小さな出血の跡がしっかり写っていることを確認しました。画像もクリアです。

その時に病院で撮影した画像がCDに残っています。様々な撮影法で脳の画像を撮ったんですが、撮影法によってこんなに写りが違うのか!とびっくりしました。

まだ血管腫の数が数個だったこと、症状が軽かったこと、いきなり大出血する奇形ではない、ということで、「また様子が変わったら病院に来て下さい」と言われ、帰りました。

43歳 血管腫からの症状が悪化 投薬開始

強いストレス下で長時間働いた2カ月が 私の症状を悪化させた

知り合いの依頼で非常にストレスが掛かり、気をつかう仕事を始めることになりました。通常の仕事の合間を縫ってやっていたので、労働時間も増えました。はっきり言うと、辞めたくて辞めたくて仕方がない仕事でした。

その仕事を始めて2カ月経った頃、お辞儀をすると右へ倒れそうになっていることに気付きました。足の踏ん張りが利かないんです。手も相変わらずです。手書きで字を書くのが本当に嫌になり、書類はほぼ全部パソコンで作るようになっていました。

海綿状血管腫の症状に苦しんだ母や弟のことを思い出しました。症状が悪化する時は、ある日突然やってくる。これといった予兆なしに倒れたり動かなくなったり感覚が鈍くなったりしていた。私も多分そうだ。どこかで新しい出血が起こっている。以前にも増して、覚悟を決めて脳外科に足を運びました。

覚悟を決めて脳外科へ 投薬開始

「右半身に症状が出始めましたか・・そろそろ薬を飲みましょう。ただし、薬は対処療法です。脳血管自体を治す力はありません。まずは薬で症状が抑えられるかどうかを確かめます。薬が効かなかったら手術も検討する・・こういう順序になります」

あの日のことは鮮明に覚えています。私は一生飲み続けないといけない薬が必要な身体になってしまった。これまでは、家族の中で唯一、健康体だったのは私だけだったんです。心のどこかで、私だけは何とか病気から逃げ切れるんじゃないかと思ってました。でもそれは幻想だった。

は能動静脈奇形という別の脳血管奇形で手術を受けていました。私が6歳だった頃のことです。手術を受ける前からずっと薬を飲んでいました。様々な薬の副作用に苦しみ、難病といわれる病気も併発し、肝臓がぼろぼろになり、最後は肝臓がんで亡くなっているんです。

診断日以来ぴったり酒は断ちました。飲むことが決まった薬の副作用に、肝臓に悪影響があると書いてあったからです。肝臓と引き換えに酒を飲むのは馬鹿げている。大酒呑みだったんですけど、酒を飲みたいという気持ちが全くなくなりました。それだけ父の最期が悲惨だったんです。

43歳の冬 薬が合わずに病院を転々 日本有数の専門病院に入院

合わない薬に振り回される数カ月を過ごす

最初に飲んだのはデパケンでした。症状が軽くなった感じはあまりなかったです。ただ、どんどんと毛が抜け始めてきました。頭が寒いという感覚を感じたのはあの時が初めてです。事情を話して薬を変えたところ、髪はまた生え、ハゲはなくなりました。

テグレトールを試した時期もありますが、発疹が出たので中止となりました。

私が当時通っていた病院は脳外科だったので、神経内科と比べて薬の調合の知識に乏しかったのも災いしました。

「これだけ薬を試しても効かないのなら、精神性の病気だと思うので、精神科に行きなさい

と言われ、精神をやられると字が書けなくなるのかw?といぶかりつつも、持たされた紹介状に書いてある名前の病院へ行ったんです。

別の病院に紹介状を書いてくれ

でも、通ったのは2度だけです。

ほとんど患者の話を聞かない。持っていった病状説明書に目を通そうともしない。出される薬でどんどん精神的におかしくなっていく自分を感じました。大声で叫びたい衝動、バランス感覚の異常、後頭部への言いようのない圧迫感や不快感。このままではダメになる。私が壊れてしまう。いい加減にしろ、ヒトの話くらい聞けよおまえ。

「遠くてもいいです。日本有数の専門病院はどこですか?

と医師の口をふさぐように訴え、紹介状を書かせてその病院とは縁を切りました。そして、薬の調整をするために、10日間程度入院することになります。

入院中

入院中、仲良くなった人とよく病院内を歩いていたんですが、どんどん右へ右へと歩いていこうとするんです。真っすぐ歩けない。そのうち、歩き方がおかしくなっていることにも気づきます。左足を軸にして、右足をぶん回して前に出していたんです。

これは、能動静脈奇形の手術をした後の父の歩き方そっくりだ。私の右足は軽い麻痺を起し始めている。主治医に伝え、足の感覚と歩行状態のチェック(後ろから見て真っすぐ歩けているかどうかの確認)をしてもらいました。

「そうですね。ご心配されていたように、残念ながら右足に軽い麻痺症状が出ているようです。ご希望であれば、身体障害者手帳がもらえると思います。手帳が欲しいという気持ちになられたら、診断書を書きますのでおっしゃって下さいね」

妙に安心した記憶があります。自分の身体の異常に病名がつき、原因も分かったことに対して。悲しくはなかったです。遺伝ですもの。個人の努力で避けようがない運命じゃないですか。症状を抑える薬の調合に成功したんだし、将来のことも考えて人生設計をしなければ、という気持ちでした。前を向くことしか考えてなかったです。両親がそうであったのと同じように。

 

ad

MRI画像に見る 私の 海綿状血管腫の変化

撮影法による写り方の比較

<2019年8月CT>

<2019年8月MRI t2_fl2d_tra_hemo>    <2019年8月MRI flair t2 tra>    <2019年MRI t2 tse tra> の順に並べました

 

10年間の変化を比較

2009年MRI t2* ax> <2009年MRI T2w Axial> の順に並べました。

     

2019年8月MRI t2_fl2d_tra_hemo>

 

悪化した症状

  • 言葉が頭に浮かばない浮かんでいても口に出して言うことができない時がある(電話は大嫌いです)
  • 順序立てて物事を考えることが苦手になった(無理にテキパキ片付けようとすると脳が熱くなり、混乱し、寝込むことになります)
  • 意欲の喪失(そういう場所にも血管腫があるそうです。更年期のせいかと思ってたんですけども)
  • 右手足の感覚鈍磨(にぶくなった)
  • 体調が悪いと右足に力が入りにくい(寝不足をすると特に足にきますね)
  • 身体のバランスをとるのが少し難しい(薬が合わなかった頃は杖をついて歩いてました)
  • 字はますますヘタになった (毛筆の習字で字を書くスピードなら何とか普通の字になるけれど、スピードを上げると自分でも読めない文字になる。これでも書道5段なんですよ。漢字検定の1級を受けたら日本一になってトロフィー貰ったんですよ私・・)
  • 記憶力が劇的に弱くなった(昔は「教科書なんて一度読んだら覚えられるでしょ全部。なんで他の人は暗記にあんなに手間取ってるんだろう」と思ってたんですけどね・・)

 

2019年8月MRI t2_fl2d_tra_hemo による 画像のいくつか

大きなブツが写っているところ

一番下から頭のてっぺんまで何枚もの画像を動かして黒い部分の数を数えてみると、ごく小さいものも含めて150個くらいはあります。

 

脳の中心部2019年> 10年前は黒ずんだり穴が開いたように見える場所はなかったんですよ・・

脳幹にもほら!できてるでしょ、たくさん」という医師の言葉が刺さりました。とうとう来たか。私にも来たか、と。

2019年の画像はすべて、救急搬送された時に撮った画像です。右手が触っているものの手触りが分からなくなり、右手足が生温かく感じられ、力も入りにくくなってきました。少しずつ言葉がもつれ始めた。まずい。脳幹部の出血か脳梗塞か分からんけどとにかく意識があるうちに病院へ!という状況でした。

毎日MRIを撮影し、出血が拡大していないことが確認できたので退院することになりました。家で静かにしてろとのことで、ずーっとブログを書いてます。

 

最後に 家族性多発性脳海綿状血管腫の患者としての想い

人生の優先順位を間違えるな、と生前の父が繰り返し言ってました

血のつながっている家族がみな、脳血管奇形で障害者になったり命を落としたりしてきましたので、私もある程度覚悟はしています。じわじわと壊れていくのは運命だと思ってます。治す方法がない(もしくは とてもリスクが高い)わけですから、自分の身体の調子にあわせて生きなければいけません。

身の回りのことを自分でこなし、なんとか仕事もし、調子が悪い時以外は家事もそこそこでき、なんとかひとり旅もできる。半世紀生きてきた私には、今が人生の勝負時だと思っています。今後、生活に不便が生じるはずです。何を捨て、何を残すか。限られた体力と、頭がクリアに動く時間を、脳が疲れない方法で有効活用するにはどうしたらいいか

生前、障害者になった父がよく言ってました。

人生の優先順位を間違うな」「時間の経済、という言葉を覚えておけ

要するに

動ける時間は限られている。できることも限られている。だから、大事なことからやりなさい。何が大事なのか決められる人になりなさい

と言いたかったんですね。海綿状血管腫が増えてきた今、父の言葉は今の私の気持ちとぴったり重なります。

 

悲観的に準備して楽観的に生きる

これが私の人生のモットーです。だから、やりたいことはすぐやります。「は?w」と笑われるようなこともふつーにやってます。他人の目を気にしているヒマなんかないんです。いつ逝ってしまうか分からんのに。変人とか言うヤツがいたら「ええ、変人ですw」でいいじゃないですか。私の出た大学では、変人はほめ言葉でした。

世間の目という枠に自分を押しこめて、人と同じようなことをして浮かないように生きるなんてバカですよ。誰の人生なんです?自分の人生は自分のためにあるんです。アホやと思うヤツには、好きなように思わせておけばいいんです。人間、楽しんだモンの勝ちですよ。

このブログは、脳海綿状血管腫を持って半世紀を越えて生きてきた私が、いかに人生を楽しんで暮らしてるかの記録です

この間、甲子園で沖縄尚学と習志野の試合を見に行ったんですよ。沖縄のアルプススタンドに行きたかったんです。ハイサイおじさんの音楽に「あいや、あいや、あいやいやさっさー♪」といいながら踊りたくて。ただそれだけのために甲子園に行きました。日焼け止め塗り忘れた足の甲が火傷みたいに日焼けしましたわw

日本の最西端の島、与那国島で10日間ひとり自炊旅してました。というか、民家を一軒貸し切って、ひとりでただただ沖縄野菜たっぷりのご飯を作ってぼおーーーっとしてたんです。その辺に生えてる長命草ってのを刻んでホットケーキ焼くとおいしいよー、とツイッターで教えてくれた沖縄の人がいて、共同売店行ってホットケーキミックス買って、ひとりで歌って踊って焼いて食べました。音楽ガンガンかけて楽しかったですよお。わははははw

●脳海綿状血管腫と共に生きているあなたへ●

 楽しみましょう、人生を。心ゆくまで存分に!

 

こちらも参照ください

●脳海綿状血管腫を持つ人向け 生活上の注意点と私の発症記録

前回の記事では、「血管腫です」と正式に診断されるまでに、病院でどんなことが行われるのかをまとめました。 この記事では、病院の外でわたし達が気をつけないといけないことをまとめていきます。 健康は病院や薬 ...

続きを見る

 

我が家は、母と血がつながっている家族がみな、家族性多発性脳海綿状血管腫を持っています(持っていました)。症状や治療がそれぞれ異なります。家族別にまとめた記事はこちらです。

●脳幹部多発性脳海綿状血管腫の症状と経過① 母の場合

私ひとりで、脳幹部を含む多発性脳海綿状血管腫の症例を4つ書くことができる。私も含めて身内に4人の同病者がいたからだ。非常に珍しいケースだと言われたことがある。私達が経験した症状や経過を、その人 別にま ...

続きを見る

●脳幹部多発性脳海綿状血管腫の症状と経過② 弟の場合

私ひとりで、脳幹部を含む多発性脳海綿状血管腫の症例を4つ書くことができる。私も含めて身内に4人の同病者がいたからだ。母・私・弟・私の娘の4人。父は別の血管奇形(脳動静脈奇形)だった。 4人の海綿状血管 ...

続きを見る

●脳幹部多発性脳海綿状血管腫の症状と経過③ 娘の場合1

私は家族性多発性脳海綿状血管腫を持つ患者のひとりだ。脳幹部にもある。しかし血管腫を持っているのは私だけではない。母・弟・娘の脳内にも海綿状血管腫(脳幹部含む)が存在した。つまり、私を含めて4人の人間に ...

続きを見る

●脳幹部多発性脳海綿状血管腫の症状と経過③ 娘の場合 2

家族性多発性脳海綿状血管腫を持った実の娘が、発症後どのような経過をたどったかを書いています。2記事に分けています。この記事はその後半部分。よければ前半部分もお読みください。   私や娘の血管 ...

続きを見る

 

万が一のために アフィとか度外視でこれを準備して下さい

いざという時に、チンタラと電車やバスを乗り継いで、家族が救急搬送された病院にはいかないでしょう?タクシーじゃないですか?便利にお得に乗って下さい。紹介コード(UTK6NNF4)を入れたら1000円の割引券がもらえます。リンク先に具体的な手順を書きました。

紹介ごとに1000円分の割引券が私にももらえるんですけど、私が住んでるところはサービス対象外なので意味ないですw でもあなたがいる地域がサービス対象内なら、配車アプリを落とすことを検討して下さい。

沖縄でタクシー配車アプリDiDiを使ってみた。使い方・クーポン・障害者割引について

2019年8月20日から沖縄でも利用できるようになったDiDiを使って、8月23日にタクシーに乗ってみました。 DiDiというのは、タクシーを呼ぶところから支払いまでアプリ内で完結するサービ スで、ソ ...

続きを見る

 

救急搬送された私自身が「やっぱり持ち歩いててよかった!」と実感したモノを全部書きました。家族が到着する前に必要な情報が沢山あります。たまたま夫が病院に来られない時に倒れたので本当に助かったんです。どこで倒れるかも分かりません。準備を万端にして命や身体機能を守りましょう!

●自分の医療情報を安全確実に持ち歩くには

脳や心臓など、発作1回で命を失いかねない場所に持病を持っているあなた。病名・連絡先・かかりつけ病院を書いた紙・お薬手帳くらい持ってればば大丈夫、と思っていませんか? この記事を書いている今、私は緊急搬 ...

続きを見る

 

気にいってくださったら ボタンを押して 教えてください!ご訪問ありがとうございました♪

 

にほんブログ村 病気ブログ 脳幹部海綿状血管腫へ
にほんブログ村


脳・神経・脊髄の病気ランキング


障がい者ランキング

このエントリーをはてなブックマークに追加

2+
ad
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

いめゆんな

多発性脳海綿状血管腫(家族性・脳幹部含む)を持つ軽度障害者です。与えられた身体や生活環境と折り合いをつけ、最大限の楽しみと幸せをつかみたい、と思いながら生きてきた半世紀を綴ってます。海外ひとり旅歴35年。京都大学卒。医学・医療系大学の講師です。

-健康管理は大切, 家族性多発性脳海綿状血管腫, 振り返る過去・考える今

Copyright© いめゆんな 半世紀を越えて , 2019 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.