最後の記事を書いてから8カ月。この間の私は、背骨を1本取っ払う大手術を経て、その後のリハビリに削られる毎日でした。
手術をしたのは、「背骨を取るならあそこに行け!」と色んなクリニックから激押しされた某大学病院。
そんな病院でさえ、私に行った手術は、類例でさえたったの8つ。
手術室での滞在時間は12時間。
出血量は6リットル弱。小柄な方なら、全血液量にあたるんじゃないですかね?
それくらいレアな難手術。
細々としたプロセスは、おいおい記事にしていこうと思うんですが、今日は8カ月の闘病期間で私が得たものと失ったものをまとめてみようと思います。
そもそもなぜ背骨がなくなったのか
骨がなくなった原因は、骨の中に生息してた海綿状血管腫が育ちすぎたせいなんです。
なくなった骨の名前は胸椎12番。T12って表現するそうですよ。
以前この記事に書いてきたんですが
私の骨・脳・脊髄の中には、多数の海綿状血管腫という良性の血管奇形がありましてね。
今回私が背骨を取ることになった理由は、背骨の中にあった血管腫が育ちすぎて、背骨をぶっ壊したからです。
左の画像が分かりやすいかもしれません。背骨からはみ出てるモノが、神経を押しつぶしてますでしょ?正確にいうと、一部を押しつぶしかけてる状態です。
脊髄ですからね...... 高さにもよりますが、場所によっては腕から下が完全マヒを起こします。
骨が折れてるだけでも手術が必要なんですが、この血管腫を取らないと脊髄が死に、身体は確実にマヒします。
つまり、私が復活するためには
- 骨折部位を金属の支柱で補強
- 折れた骨を全部取っちゃって人工物を突っ込む
- 海綿状血管腫を安全に切除
これを同時に終わらせる手術が必要。かなりハイリスク。地元の大学病院は引き受けてくれませんでした。
厄介なことに、脊髄・背骨周辺の血管腫は、ものすごく出血しやすいんです。神経って、血液をかぶるとダメになるというのに。
だから、一歩間違えたら、太ももの付け根から下が完全マヒ、排泄機能もダメになる。
本人である私は当然ですが、執刀医自身も覚悟を問われる手術だったろうと思います。
まるで自分に気合を入れるかのように
「どうか、私のことを信じていてください」
術式説明の時に4度、この言葉を聞きました。
...... こんなハイリスクな手術なのに。主語は「私」で大丈夫なのか?
「この病院として全力を尽くす」といった、責任を組織に乗っける言い方の方が安全だと思うぞ?
そう思いながら、数日後にメスを握る主治医の指を見つめていました。
その度胸と覚悟を買おうじゃないか。
この命、どうか還暦につなげてくれ。君に預ける。よろしく頼む。
手術のせいで失ったもの
骨
骨を取る手術をしてるから、失うの当たり前なんですが。
でもアレですね。折れた骨だとはいえ、60年近く一緒にいた身体の一部です。なくなってしまうと、ちょっと寂しい。
きっと医療廃棄物。私の一部が、ゴミになっちゃいましたよ。誰だか分からない人の身体と一緒に。
まだ戻らない身体機能
背中をまっすぐ伸ばす力
手術後4カ月近く、腰から脇の高さまで、ずーっと硬いコルセットしてたんです。
筋肉がコルセットに頼り過ぎたんでしょうね。身体を起こすための筋力が、なかなか戻らんのです。
取り去った胸椎12番(T12)って骨からは、腰から太ももを動かしてる神経が出てるんです。そこをイジってるせいで、筋肉への指令がうまく出てないってのもあります。
腹筋に力を入れて、と言われた時に気づきました。
...... 腹筋どこ?!動いてない!
「こうすればハラは凹むはず!」と思ってた動作をしても、ぜーんぜん動かんかったのですよ、私の下腹。
リハビリで相当改善しました。でも今も弱い。だから腹が凹まない。下腹出っ放し。悲しい。
滑らかな歩行能力
これも、T12から出てる神経の影響です。
腸腰筋という大きな筋肉のうち、鼠径部エリアの動きが非常に悪かった。足を上げる動作に関わります。
うまく上がらないから、バランスよく歩けなかったんです。
でも、「最終的には電動車椅子ですね」と言われてたところから、杖なしで歩けるところまで戻せました。その代わり、リハビリは過酷でした。
いつも自分に言い聞かせてたのは、この一言です。
「涙が枯れてからがリハビリや」
歯を食いしばるのは当たり前。涙が出るのも仕方ない。でも、そこで止まったら機能は戻らない。
泣いて心の整理がついたら、すぐ歩くんです。その繰り返しの4カ月でした。
毛髪
手術の直接的な影響じゃないんですが、はっきり言って、激しくハゲました。
体重を落として歩きやすくするため、病院食のカロリーが低く抑えられてたんです。基礎代謝以下の1600kcalまで。生きてるだけで痩せますわ。
ところが、病院が想定してた以上のペースで歩き続けたもんだから、急激に痩せてったんですよ。
なんと、5カ月で25キロ...
急に痩せると、ハゲるんです。
張りのある肌
これも急激にやせたせいです。
脂肪がごっそりなくなったせいで、皮膚が余っちゃったんですよ。もうタルッタルのブヨンブヨン。
若ければ、割と早く皮膚も縮むらしいです。でも私、もうすぐ60歳ですからねえ......
「引き締め効果があるよ!」と友達に勧められたオイルで、全身激しくマッサージ中。くびれが少し戻りつつあります。
夫婦関係
見舞いにこねーんだ、うちの夫。あんなに情のない男だとは思わなかった。
しかも、私が家にいなかった5カ月の間に、私の部屋と自分の部屋を入れ替えてやがった。無断で何してんだよテメエ。まだ十分安全に歩けるわけじゃねえのに、生活導線ぶっこわしやがって。
当然おとなしく引き下がりはしませんでした。退院前にAmazonでボイスレコーダーを購入してスマホにぶら下げました。帰宅後に夫との話し合いの模様を録音。
弁護士沙汰・裁判所沙汰になった時の準備っすな。そう。協議離婚を視野に入れて退院してきたんです私。
ちなみに、これ買ったんです。
カバンにぶら下げても違和感なし。キーホルダーサイズ。ボイレコ感ゼロ。ポケットの中からでもバッチリ音を拾います。オススメです。
学会への登壇機会
とある少数言語を勉強してきたご縁で、「学習者の立場から、学会で発表してみない?」と声が掛かってたんです。
ですが、背中を30cmも切って、痛み止めのモルヒネが10日間も切れなかった私が、壇上でマトモに話せるはずない。たとえZOOMでも厳しい。
会社の代表権
財閥系シンクタンクと仕事をさせてもらってました。相手が相手だけにヌルいことができませんから、健康な人に会社は譲りました。
T12は、私のバックボーンを一体何本道連れにしたんだろう。
手術の影響は、身体にだけ残るもんじゃない。これまで積み重ねてきた知識や努力の成果を、無情にもごっそり持ってったよ......
手術のおかげで手に入れたもの
強い自己肯定感
色んなものを失ってるくせに自己肯定感が爆上がり。
死ぬ瀬戸際から這い上がる過程で、色んな知恵と経験を得て、強い人間になるからだと思います。
老人病院サバイバル術
手術をした病院から、普通ならリハビリ病院に直でつながるんですが... 私はそれができなかった。診断名の「胸髄症」がポピュラーな病名じゃなかったことが一因みたいです。
仕方なく、唯一手を上げてくれた病院に転院したんですが、とんでもないところでした。言葉よくないですけど、「老人を沈めてる病院」って言葉が浮かびました。
手のかかるご老人は、乳母車みたいなのに乗せられて、日中はナースステーション前に陳列されてました。それをタメ口ナースが叱りつける。それが当たり前の場所。
そういう雰囲気のところで、当たり前の人権を確保するの、本当に大変でした。ナースからお掃除担当のご老人まで、皆さん本当にアクが強い。
こっちはまだ車椅子ですからね。ご機嫌を損ねたら生活に困る。でも、遠慮ばかりしてるとナメられる。
そこで、ひとりひとりの好みや性格に合わせて、私は何重人格も演じ分けてました。
そこでの生活は1カ月半。
やっとリハビリ病院につながった日。病棟から1階に降りるエレベーター前に、ナースさんからお掃除の方まで、沢山の人たちが見送ってくれましたよ。扉が閉まる瞬間まで、握手やらハイタッチやら。
...... 勝った。私、勝ったぜ。
今思い出しても、あの瞬間は震えがきます。やっと病人として、まともな回復ルートに戻れると。
初恋相手ポジション
相手は39歳か40歳。経歴から察するに、恋心を完全封印して生きてきたんでしょう。初めて女の子を好きになった13歳くらいの少年の姿で、彼は私の前に現れました。
君、ここ職場だろ?何やってんだ?気づかれたら職を失うぞ気は確かか?20歳も年上、体重98キロ。そんな岩石のどこがいいんだ。
きっかけは、私の生い立ちを話したことです。
壮絶で理不尽な人生だと言われました。恵まれた育ちをしてきた彼にとって、私みたいな人間がマトモな人間として成長したことが、非常に衝撃的だったみたいです。
世間では「お気の毒に...」と言われることばかりの人生でしたが......。
彼の想いのお陰で、60年弱の人生を初めて全肯定できました。
きっと誰も信じない。そんな恋が、あってもいい。
家庭内の制空権
離婚前提で退院してきた訳ですが、夫がやったことを完全論破してやりました。
「5カ月も家を空けて済みませんと謝れ」
なんてLINEでヌカしやがったんで、退院時に区役所経由で帰宅したんです。離婚届getと、障害支援区分の申請のために。
障害支援区分を認められたら、色んな生活支援を受けられるんですよ。私が狙ったのは、通院の付き添いのような外出補助サービスです。
詳しい話は別記事にしますが、夫はいま、5畳ちょっとの小さい部屋で寝起きしています。しかも、とても気が利くお手伝いさん化。
怒る時は本気で怒らないとダメですね。
病気になった時に身内がいた方がいいかな、と思って縁をつないできましたが......
今回の件で、「こいつ全然役立たないどころか、人としての情が根本的に欠けてる」と分かったんで、遠慮のかけらもない詰め方をしました、結婚後初めて。
殴る蹴る上等の貧民窟から成り上がった女は、絶対に敵に回しちゃダメ
ポジティブな開き直りの心
命を失う間際まで行った人間は、モノを考える基準が下がります。
- 「よく死ななかったね」と言われる術後の壮絶さ
- 身体が起こせなくて、獣みたいに何もかも手づかみの食事
- 下半身完全露出のまま、尿道カテーテルをつっこまれ、M字開脚で30分も廊下で放置
- ナースの機嫌をとらないと薬も出てこない病院
- ベッドから車椅子に座らせるのにナースが3人。それでも落下。吐き捨てるように「重いんだよムリ!」と叩かれたときの情けなさ
- 便が硬すぎて出ない。肛門に指を突っ込んで便をかきだしてもらう摘便生活 every day
そんな経験をして今がある。
ですから、もうアレですよ。自分で解決できそうな問題なぞ、問題のうちに入らない。
物事の判断基準は、「それって、死ぬ?」
...... 死なないなら、オールオッケー。
ハゲはオーダーメイドウイッグで隠蔽。もうすぐ現物が届きます。
全身の皮余りは、いずれ「Yes!」なクリニックにカウンセリング予約するかもしれません。
時間の有限さへの危機感
これは真剣に向き合いたい課題。
「ダメだこれ、もう死ぬかも」と思った時に浮かんだのは、やり残してる夢の多さでした。
私の家系は、遺伝性の海綿状血管腫のせいで、誰も還暦を越えられずに死んでるんです。
今回の大手術で切除できたのは、血管腫のうちのたった1つに過ぎない。脳内には無数と言っていいほどの出血痕。いずれ、どれかが大出血したら、私も終わりです。
私も還暦を越えられないとしたら、余命はあと半年。そう思うと、時間の価値がとんでもなく爆上がりです。
今回の手術は体へのダメージが凄かったですから、たとえ社会復帰できても、普通の人のように、あたりまえに老後があると思っちゃいけない。ベッドの上で病室の天井をにらみながら唇をかんでました。
人生の優先順位を間違っちゃダメだ。気がついたら死んでいた、なんてことになりかねない。
後悔だけは減らしたい。目指せ病人還暦サバイバー
これからも時々記事を書きます。よかったら、また読んでね!