障害者と生きる・障害者として生きる

利き手が動かない父のために 我が家のプリンはどんぶりで作っていた

 

我が家の父の日は「プリンエル」を作る日だ。父が亡くなってからは遺影の前にプリンを供え、「お父さんひとりで全部食べてええからな」と心の中で父に話しかけている。

 

プリンエルというのは、牛乳と混ぜるだけでプリンができる粉末のことで、かれこれ50年近くは売られているハウス食品のロングラン商品。ひと箱だいたい130円。色んな意味でお手軽にプリンが食べられる。

 

スーパーでプリンエルの箱を手にするたびに、こんな声が心の中で反響する。

「実のお父さんだとはいえ酷くない?w ていうか、ふつーにプリン買えよ。デカいやつ売ってるから。どんだけケチなんだよプリンエルがプレゼントてw ひと箱128円と牛乳で『お父さんありがとう』?逆じゃね?お父さん泣いてるよw」

 

父の日のプレゼントが「プリンエルで作ったどんぶりプリン」だと知ったら、多分こんな風に笑われるんだろうなあ・・と思いつつ、今年も躊躇なく買い物かごに入れた。

知ってるよ。近所のスーパーで見かけた巨大プリンには「横綱プリン」って書いてあったよ。普通のプリンの4倍くらいはあったかな。食べ応えあるよね。値段は598円+消費税。遺影の前に置いても、それなりに存在感があるだろうね。どんぶり置くよりずーっとサマになるしね。

 

でもね。父に供えるプリンは横綱じゃダメなんだ。しかも容器はどんぶり一択なんだよ我が家では。

 

 

時は45年前にさかのぼる。

友だちの家で出される手作りプリンはとても小さくて、きれいな器の中でぷるぷる揺れていた。

うちで作るプリン、なんでどんぶりに入ってるの?

そう母に尋ねたら、笑いながら母はこう答えた。

「洗いもんが少なくて済むやん。それに、大きい方が嬉しいやんか。固まったら分けて食べような」

確かに大きい方がプリンに迫力があるし、上手くいけば少食の弟の分まで削り取って食べることもできるしな♪ と無邪気に納得してたんだ、幼かったあの頃は。

 

でも、ある時はっと気がついた。なぜどんぶりでプリンを作り続けてきたのかってことに。

 

 

父は、私が6歳の時に脳動静脈奇形の手術を受け

「治療法は手術のみです。左半身の機能は失われてしまうことを覚悟して下さい」

医者にそう宣告された通り、父の身体には左半身不随という後遺症が残った。運の悪いことに父の利き手と利き足は左。スプーンを持つ右手で不自由なく食事がとれるようになるまでに数年かかった記憶がある。

 

身体の自由を失ってはじめて気づくことは沢山あるものだ。そのうちの1つに、小さくて軽い容器に入っているものをすくって食べる困難さというのがある。なぜか? それは、もう片方の手で固定しなければ、容器が滑って倒れてしまうからだ。プリンのように容器にはりついているものは尚更だ。

運よくスプーンが表面に刺さっても、プリンを持ち上げるときに一緒に容器まで持ち上がってしまう。プリンをスプーンに載せる為には、容器を振り落とさなければならない。当然、スプーンの上のプリンも一緒に吹っ飛んでしまうんだ。

 

その点、どんぶりは重くて安定感があり面積も広い。だから、手が震えてスプーンを突き立てる場所を制御できなくても、面積が広ければ大体どこかにスプーンが刺さる。器が重たいから倒れる心配もないし、プリンをすくい上げたくらいでどんぶりが宙に浮くことはあり得ない。

かくして、父は誰の手を借りることなく、堂々と自分の手でプリンを食べることが可能になるわけだ。

 

介助を受けながらプリンを食べる姿を子供に見せたくない。そして、食事に介助が必要になってしまった情けなさを感じたくない。今思えば、プリンに限らず父の食卓には、食事をしやすくする配慮がいくつもあった気がする。

幼い子供に心配を掛けずにご飯を食べさせること。しかも同じ食卓の上で。それを実現するには、両親の工夫と配慮があちこちにあったのではないか。

 

父が自宅で過ごせる程度に身体機能を回復させるまでの間、私達兄弟は知り合いの家を転々として暮らしていた。だからこそ、同じものを同じ場所で楽しく一緒に食べることの大切さを両親は身にしみて感じていたんだと思う。

 

 

父はその後も様々な病に苦しんだ果てに短い人生に幕を引くことになる。そのうちの一つが糖尿病。インスリン注射を打つようになった父は、プリンを食べることがもうできなくなってしまった。そして、父の命にとどめを刺したのは肝臓がんだった。

容体が段々不安定になり、意識も朦朧とし始めた。回復の兆しはもうない。

人が望むことは自由にさせてあげてくださいね

医師は静かにこう言った。私はその言葉をいつまでも心の中で咀嚼できず、ただ立ち続けていたのを覚えている。

 

最期が近い。素人目にもそれが分かる時期が来た。朦朧とした意識が、梅雨の晴れ間のようにちらっと正常に戻った時も、支離滅裂な言葉を繰り返すばかりだった。

もう二度と父との意思疎通は無理なのかもしれない。そう覚悟しながら、トタン板のようにやせ細った父の胸に手を置いた。

その時だ。

 

ワシ・・プリンが食いたいんや

 

そう聞こえる声がした。はっ!と目をあげて父の顔を見た。錯乱した表情ではない。はっきりと自分の意思が言える状態なんだ今は。

 

お父さん、プリンか?プリンでええんやな?待っててや、すぐ買うてくるから。待っててや。すぐやからな、ほんまやで

 

看護師さんがお金を受取り、私が買ってくるからあなたはここにいなさい、と気を利かせてくれた。

 

ほどなく戻ってきた看護師さんからプリンをうけとり、ひらべったくて透明な「スプーン」の包みを破いた。本当のスプーンと違ってくぼみがほとんどない。すくえたプリンはほんのわずかだ。それを口元に持っていき

 

お父さん、プリンや。口あけて。ちょびっとでええ。口あけて。プリンつっこむから。ゆっくり食べよ。な?

 

口が開いた。

 

「プリンは卵と牛乳が入ってるやろ?糖分も入ってる。栄養あるから元気出るで!」

薄いプリンが口の中に消えた。よっしゃ!成功や!

・・あれ?お父さん、泣いてるんと違うか?

力を振り絞るような泣き方だった。それでも、精一杯のむせび泣きにしかならなかった。

 

それから先のことは覚えていない。医師と看護師の動きが慌ただしくなった

 

 

今年も父の日がやってきた。

ずっしりした器の中に甘い香りがする薄黄色の液体を静かに流し込みながら、今年も私はつぶやいた。

 

お父さん。プリンはどんぶりで作らなあかんな

そしたら、またみんなで一緒に食べれるもんな。

 

 

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くりからん

全身に遺伝性の血管奇形があります。脳や脊髄、身体を支える大きな骨に至るまで。出血するたびマヒや発作が強くなるのに、手術は危険なのでできません。そんな人生も半世紀を越えました。老後が見えてきた今。何をしておきたいか。どんな人生を送りたいか。日々考えてます。

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