障害者と生きる・障害者として生きる

創価学会信者の親せきがウチの障害年金を財務に流用した話

 

先におことわりを入れておこう。以下の記事は、創価学会にケチをつけたいわけじゃない。善良な信者の方々にケチをつける積りもない。信仰は自由だ。

しかし、人の心をえぐる悪質な勧誘は許せない。強く非難したい。当時の私は若かったのですごく堪えた。

 

障害者家庭は新興宗教の勧誘に遭いやすい

 

病気をしていると、時々宗教の勧誘らしきアプローチを経験する。これを読んでいる病気の方、あなたはどうだろう。

私は、両親が新興宗教の信者や霊媒師のような人と接触しているのを何度も見てきた。ウチの両親は重度の身体障害者。何かにすがりたい気持ちはよく分かる。霊媒師が家に来るたび、少し謝礼を渡していただろうとは思う。しかし宗教の勧誘も霊媒師との接触も、ごく一時的なものだった。家庭をひっくり返すようなこともなく過ぎ去っていった。

 

しかしだ。親が若くして相次いで旅立った時のことは忘れない。

創価学会の信者である母の異母姉妹や従妹にあたる人達が、葬式から日が浅い私に向かってこう言った。

「あなたが信心深くなかったせいで、お父さんもお母さんも亡くなったんだよ。可哀そうに。今からでもいいから入信しなさい」

 

障害者であったとはいえ、こんなに早くあっけなく逝ってしまうだなんて。そんな悲しみに耐えられず、私の心はざっくり割れていた。そんな私に寄り添うこともなく、勧誘の電話を切ろうとしない。なまじっか相手が近しい親せきなだけに、「いい加減にしろ!」とガチャ切りするわけにもいかず、受話器を握ってふるふる震えてた。

やっと勧誘演説が終わって受話器を置いた時、私は泣いた。大声を出してへたり込んで泣いた。

 

 

親が障害年金から貯めた200万を借りて踏み倒しやがった

 

そのくせ自分たちは生活費に窮しており、あろうことか生前の母の貯金から200万円を借りていた。障害年金から少しずつ貯めた大切なカネだ。

返済期限が来た時、いきなり手紙が届いた。

 

あなたたちの幼少期、お父さんが脳の手術でお母さんは病院につきっきりだったわよね。

自分たちだけで暮らせないあなたたちを預かって育てたのは私。恩を返しなさい。200万円は感謝のためによこしなさい。

 

なに言ってんだこのババア。頭に湧いた虫が腐って脳が溶けてんじゃねえのか。

育てたとか偉そうにいうな。

不倫してる男と同棲し、男は酒が入ると暴力をふるい、とうとう私だけを家から追い出し、残った弟にはろくに食事を与えず、帰ってきた弟の乳歯は全部真っ黒だったじゃないか。

 

 

私の家に突然届いたミカンと聖教新聞

 

程なくして家に聖教新聞が届いた。もちろん私が申し込むはずなどない。

販売店に問い合わせたら、そのババアが無断で我が家名義で申し込み、しかも代金は私持ちになってることが分かった。

 

数日前にミカンまで届いている。速攻で突っ返してやったら逆ギレしやがった。キレてんのはこっちの方だ。

ここで泣いたら負けだ。ガキだと思ってナメんじゃねえぞクソババア。

 

私は借用証書を持っている。私達を預けた時に母がお金を渡していたことも私は覚えている。

あなたがするべきことは、母が障害年金からコツコツ貯めた200万を返済するためにしっかり働くことだ。

私への文句はカネを返してからにしろ。それがイヤなら、出るところに出て、きっちりカタをつけてやろうじゃないか

 

ぎゃーぎゃーわめいてたけど知るか。悪いのはアンタだ。

とりま、貸したカネ返せよ。偉そうに言うのはそれからだ。

 

 

借金を踏み倒して払ったお布施で幸せになれるのかよ

 

碌に働きもしないモンが、障害年金から借金をして、偉そうに踏み倒すとは何事か。働けや。

「財務」とか訳の分からんことに我が家の障害年金を流用してんじゃねえよ。返せコラ。

宗教団体に寄付したいなら、オノレの元気な身体で稼いだカネでやらんかい。

そもそも

人の足元を見て、信者獲得のノルマ達成のために近づいてくることを信者に許す宗教は本当の宗教じゃない。

弱者をターゲットにした悪徳ビジネスとどう違うってんだ。

 

そのババアが天に召された時、ウルフルズの「借金大王」って曲を流してやろうと半分マジで考えてたほど、若い日の私は怒りに震えていた。

 

 

宗教の役割は心の安定じゃないのか?

 

両親を立て続けに亡くし、心から血を流している娘をつかまえて、恫喝に近い勧誘をカマしたあなた方。私は今でもあなたたちを許さない。

 

心の平安を与えるのが宗教なのではないのか?

あなたたちの言葉は、「あんたの為に言ってるのよ」という、もっともらしいベールに包んだ言葉の石つぶてだ。

 

「宗教」に足元を見られるほど私は弱く可哀そうな人間じゃない。そんな値踏みをする奴は許さないからな。人の心をかき乱す信仰は、もはや社会的害悪だ。マルチ商法の勧誘よりタチが悪い。人の不幸につけこんで、罪悪感を植え付け、不安にさせて誘い込む。それはもう信仰の域を超えている。

 

 

神や仏と1対1で対話するのが本筋ではないのか

 

集団でつるんで祈ったりしなくても神との対話はできる。むしろ1人で祈ることが重要だと私は思う。

神の声を聴くためには、研ぎ澄まされた神経と静寂が必要だから。

なので、自分の心の中にある神としっかり対話する為には、信者同士の交流はむしろ邪魔。

信者同士の人間関係のもつれなど論外。

これまでの人間関係を破壊するような宗教などまっぴらごめんだ。

 

もう一回言う。

神との対話は1対1。お金は要らない。耳を澄ませて静かな心でじっとしていればいいだけだ。

対話をするには、自分の想いを言語化する必要がある。これこそが宗教の本質。

抱えている問題を言語化することによって、自分で自分を客観視する余裕が生まれる。

余裕を得た心は少しずつ冷静さを取り戻し、落ち着いて物事を考えることが可能になってくるものだ。

 

宗教や神という存在は、自己対話による問題解決の媒体に過ぎない。

 

 

信者獲得合戦や寄付集めに奔走して人を傷つける。そんなことしても幸せになれんわ

 

あなたがその信仰によって、心を安定させ、幸せになろうとするのは勝手だ。干渉しない。しかし、無理やり他人を引きずり込む必要などない。

どうやら信者の獲得ノルマ、支払ったお布施の金額に応じて幸せになるシステムのようだ。自分のカネでやる分には勝手にやればいい。しかし獲得ノルマをこなすために、悪質な方法で弱者をねらって信者に仕立て上げるのは許せない。

 

 

社会的弱者が悪質な勧誘に屈しないために

弱みに付け込んでくる偽りの優しさと、相手の幸せだけを心から祈っている優しさ。

病気や貧困と生きていく人間にとって、2つのやさしさを見分けることは、心静かに生きてくうえで非常に重要なポイントだと私は断言する。

 

心を支える手段はいくつもある。私はその中から読書を選んだ。心を支える1行を見つけるたび、若い頃からノートに書き写し、折に触れて読んできた。

そのお陰で、私の心の中には、ちゃんと自分で育てた「神」がいる。心のよりどころとなる精神的な柱がある。多額のお布施など要らぬ。図書館でピンときた本を借りればいいだけのことだった。

 

ナメんじゃねえぞ。私がどんな苦労をして大きくなったと思ってんだ。

 

信じてた人からの宗教勧誘は心をざっくり傷つけた

 

おばだけではない。

創価学会の勧誘を受けて心が折れてしまった思い出がもう1つある。

やっと心の整理がついたので、ぼちぼち書き起こそうと思う。

ちょっとだけ予告。青春の美しい思い出を返せ。

 

言葉を忘れる前に伝えたい。13歳の君が見せてくれた世界は美しかった

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全身に遺伝性の血管奇形があります。脳や脊髄、身体を支える大きな骨に至るまで。出血するたびマヒや発作が強くなるのに、手術は危険なのでできません。そんな人生も半世紀を越えました。老後が見えてきた今。何をしておきたいか。どんな人生を送りたいか。日々考えてます。

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