私はこれまでに何度もひとりで沖縄に行った。観光地でもなんでもない場所を歩くのが好きだ。こういってはナンだけど、観光定番ルートを一歩外れると沖縄の建物は古く、そして貧しい。那覇から離れれば離れる程、「どうやって食べてるんだろう」と思わずにはいられない。
離島はさらに厳しい。自炊しながら長期滞在するたびに、物価の高さには目をみはる。日本の最西端にある与那国島では、なんてことないガムテープが330円。100均ないもんね。輸送費ハンパないもんね。
だから食材などは大きな島で調達してから船に乗る。八重山なら石垣島のゆらてぃく市場・星野商店・あとはコンビニ。
那覇では必ず沖縄県立図書館の郷土本コーナーに行く。本土では手に入らない本を読みふけるのも好きだ。本土とは違う「日本」の姿がそこにある。
ツアーに頼らないひとり旅をする時、絶対に現地の歴史を少しでいいから勉強する。自分の身の安全のためでもあり、現地の人たちを悲しませないためでもある。
今日書くのは、旅をするにせよそうでないにせよ、歴史を知らないことから起こる悲しいやりとりについてだ。キレイな海に行き、沖縄そばを食べ、紅イモタルトをしこたま買って帰る旅では分からない沖縄がある。
足らない年金 高い保険料
増える老人、増える現役世代の負担。
若い世代が老人に文句を言いたくなる気持ちは、私にも理解できる。私も夫も、一応現役世代側の人間だ。
さっき私のツイッタータイムライン上をこんなニュースが流れていった。老齢年金を受給している沖縄の高齢者が登場する。「年金支給額が少なすぎて食べていけない、病院にも行けない」といった趣旨のニュースだ。
それに対して侮蔑的なツイートをし、それに賛同してガンガン叩いてるフォロワー達を見て思ったことをここに転載しようと思う。
沖縄の高齢者達がインタビューに答えた。「年金では食えない」
以下はYahooの記事からの転載だ(リンク切れになったので、該当部分を抜粋)。
男性は数日前に誕生日を迎え78歳になったばかり。妻は1学年上で、もうすぐ79歳になる。耳が遠くなり、目もあまり見えないという妻。話がかみ合わないことも増えた。「認知症だろう」という。 元々、水道関係の仕事をしていたという男性。いまは妻の面倒を見なければならないため仕事はしていない。頼みの綱は2カ月に一度もらえる2人分の年金計約22万円。つまり1カ月に使える金額は約11万円だ。(引用)
家には寝に帰るだけだという男性夫婦。1日3食全てをコンビニや牛丼チェーン店で済ますといい、車内のドアポケットにはコンビニでもらえるスプーンが大量にあった。食費に加えてガソリン代は毎月2万円以上。光熱費など最低限のものを支払うとあっという間に年金はなくなる。(引用)
これだけなら、沖縄県外でもよくあることだ。若い時に貯金もせず、年金保険料も納めず、老後のことを考えてなかった人は日本全国にいるもんだ。
しかし、次のニュースを読んでほしい。老齢年金が少なくて生活が厳しいと訴える、さっきとは別の沖縄の老人の声だ。
記事内に書かれてある、沖縄が置かれてきた社会背景についての説明も、あわせて読んでみてほしい。
headlines.yahoo.co.jp
日本復帰後、県内の飲食店で勤務した。低賃金と事業所側の厚生年金未加入が負担となり、国民年金の納付は後回しになった。
約10年前に夫が他界。納付条件を満たさず遺族年金はない。4人の子どもは自宅近くに暮らすが、「迷惑を掛けたくない」と頼れないという。
沖縄の年金制度は国民年金が本土に9年遅れて70年4月に始まったが、被保険者期間が短く年金額が県外より低いなど給付水準に格差が生まれた。政府は老齢年金の受給資格期間の短縮や復帰前の期間を保険料免除とする特別措置を講じたが、追納負担が足かせとなった。(引用)
若い時に将来を考えなかったツケだ、と手厳しい
そして以下は、ニュースを引用したツイートのいくつか。私は悲しい気持ちになった。
戦後に沖縄が歩んだ道を考えてほしい
無計画な老人だ と切って捨てていいんだろうか
私は沖縄の人間ではない。けれど、2つ目の記事が解説している通り、沖縄は本土とは異なる戦後を歩んできたんだよ。
アイコンとアカウント名を消しているとはいえ、ネット上であっても他人様にネガティブなことを書くのは本意ではない。ただ、この方はいつも老齢年金を貰っている老人を叩き、若者のフォロワーを集め、自分のブログに誘導してアフィリエイト活動をなさっている。
そのジャンルの知識が豊富な方だ。私も、彼女のツイートを拝見して勉強させてもらっている人間のひとりだ。
ただ、老人は長生きし過ぎで困るんだよ、に近いことを書いて煽る姿勢だけはちょっとな・・といつも思ってた。
特に沖縄には、本土にない特殊な事情がある。
沖縄の戦後は過酷だったんだよ
日本で唯一、アメリカ人が上陸して残虐な戦闘行為を行った島。県民の4人に1人が戦場で散った島。1972年まで日本に戻ってこれなかった島。それが沖縄。
復興のスタート地点は、本土よりもぐっと低いところにあったはずだ。焼き尽くされ、破壊つくされ、何にもないんだもの。
頼れる親や親戚も沢山犠牲になった。後に残った人達は、社会システムも大切な人も財産もずたずたにされてなお、生きていくために真剣だったはずだ。
どんどん広がる 本土との格差
その一方で、沖縄が本土復帰するまでの27年間に、本土はぐんぐん国力をつけた。
やがて高度成長期がやってくる。製造業やサービス業がどんどん伸びた。安定してお金を生み出す産業だ。農林漁業と違って、自然相手の不安定な職業ではない。沖縄が本土復帰した時、本土はもう「戦後」じゃなかった。沖縄は高度成長を経験することなく日本に戻ってきた。だから製造業の比率が低い。それでなくても地理的に本土と遠いから、製造したものを県外に出してお金を儲けることが難しい事情もある。
それと同時に本土では、各種社会保障制度の整備も進んでいった。年金制度もそのひとつ。本土復帰は1972年。それまでの沖縄は日本ではなかった。だから、沖縄の人が日本の年金制度に加わることになった時期は遅い。しかも、経済的理由などから、社会保険に入っていない企業も多かった。
一生懸命に働いても給料は低い島だった(これは今でもそうだ)。安い給料の中から国民年金を払うのは大変だったろう。給与水準は地域差が大きいけれど、国民年金保険料は全国一律なのだから。払いたくても払えない人の割合は、本土の比ではないはずだ。
叩いて笑い物にする前に 歴史を知ろうぜ
最初にニュースを引用してツイートした人は フォロワーを集めてアフィリエイトをやってる人だ
いつもと違って賛同の「いいね」やリツイが多い。鬼の首をとったかのように何を喜んでるんだ。
記事を最後まで読んだのなら、人寄せの為に安易に叩いていい老人じゃない(かもしれない)ってことが分からんか?そこまでして賛同者を増やしたいのか?
歴史を知ろうぜ。沖縄という島は、特殊な道を歩んできた日本だ。
返事は来ないと思ったけど リプを打ってみた
「老人叩きをすれば現役世代が喜び、自分への賛同者が増えると思ってはいけません。沖縄の老人が貧困にあえいでいるのは、単に個人の努力や堅実さが足らなかったからばかりじゃないんです。そういう社会制度の中で彼らは生きてきたんです。歴史を知って下さい」
そう言いたくて、そんなリプを打ってみた。
やっぱり返事はこなかった。
沖縄の戦中戦後の悲惨さに思いをはせてみよう
その記事に出てきた年齢のご老人たちはね。
地上戦の記憶が残っている世代の方たちなんだよ。モノのように殺されていく人を、幼い瞳で否応なしに見せつけられ、食べ物もない中で何とか生き延びた人達。沖縄の戦後復興を支えた人達。
ここには貼らないけど、こんなリプを打ってる人もいた。
「若い時から自炊してないからダメなんでしょ」
はっきり書く。戦争で4人に1人も命を落としてしまうほど徹底的に破壊しつくされた島で、毎日食堂でメシ食えたと思うか?食材も手に入りづらい中、工夫して自炊して命をつないできたはずだ。本土以上に大変な戦後復興だったんだぞ。分かってんのかオマエ。
自戒を込めて。歴史は勉強した方がいい。要らぬ誤解から来る摩擦を生む。
なんくるならん時代を懸命に生きてきた人達だよ
沖縄は、海がきれいでのんびりした「なんくるないさ~」なだけの呑気な島じゃないの。もちろん個人差はあるだろうよ。酒かっくらって仕事もせず、親戚におんぶにだっこな、どーしよーもないヤツもいると思うよ。
でも、あの記事に出てきた人達がそうだと決めつけちゃいかんでしょ。
沖縄のご老人はね。
なんくるならんことを一杯乗り越えてきた人達なんだよ。
よく知らないことを笑っちゃいけない
アイキャッチ画像に使ったのは、私の書棚から引っ張り出してきた沖縄関連本のごく一部。私も本の中でしか知らないようなもんだから、偉そうに言えないんだけどね。
でもな。
偉そうに言えないからこそ。つまり、よく知らないからこそ。
人を笑って叩いちゃいけないと思う。
私には特別な政治思想があるわけじゃない。単なる沖縄好きのリピーターだ。でも、あの小さな島でかつて何があったのか。忘れちゃいけない。知らなきゃいけない。そう思う。