障害者と生きる・障害者として生きる

【勧誘覚悟】① 創価学会役員の元友人にこちらから連絡した。言葉を忘れる前に伝えたいことがある

私は人を探していた。

探していたのは、恵まれてたとは言えない私の子供時代を 明るく照らした少年だ

最初に会ったのは11歳。その子は転校生だった。

最後に会ったのは19歳。土砂降りの雨の中を歩いていた。

このブログには、海綿状血管腫のことだけでなく、血管腫を持ちながら生きた半世紀の想い出も書かれている。

11歳から13歳頃の想い出を書いた記事をupした後、何気なくその子の名前を検索をしてみた。

・・・「子」じゃないな。お互い50歳を過ぎてるから「人」だ。

仕事に関する記事がずらっと並んでいる。

 

あの頃勉強たことを活かして働いてるわ。しかもネットに名前が残せるなんて。この人は立派な技術者になったんやなあ。

よかった。ほんまによかった。素晴らしい。

 

ところが1つだけ異質な記事が混じってることに気づいた。聖教新聞ネット版の特集記事だ。

タイトルから察するに、今その人は病気になってるようだ。

どないしたんや。何の病気や。

ここまでは比較的冷静だった。

ところが、記事トップに掲載されてる顔写真を見て、私は声を上げ、座ってた椅子をぶっ倒して立ち上がってた。

大きく浮腫んだ顔。しっかり笑ってるけど何となく泣き顔にも見える。「この人は重い病気にかかっている」と思って見てるからだと思うけど。

これはムーンフェイスだ。

ステロイド剤の副作用じゃないだろうか。うちの母とおんなじだ。

だとしたら浮腫み方から察するに、使ってるステロイド剤は結構強いはず。

満面の笑みだけど病状は決して軽くない気がする。一体何が起こってるんだ?

無料版で読めた数行をむさぼり読んだ。同姓同名の別人であればいいのにと思いながら。

けれど、珍しい苗字も年齢も同じ。

居住地は子供の頃に住んでいた市内にある。

笑顔の中に昔の面影がしっかり残ってる。

残念ながら本人だと認めざるを得ない。

 

嘘やろ。なんでこんなことに・・・

一体どうして?なぜ?いつからこんなことに。

続きを読みたい。でも続きは有料版でと書いてある。

私はこの宗教団体に対して非常に大きなトラウマを抱えている。理由は別記事にした。

課金したくない。本当に申し訳ないんだけど、私は創価学会にこれ以上お金を払うことができない

どうすればいいんだ。

動揺しながらツイートを打った。心を落ち着かせるためにツイートを打った。この記事の続きを読みたいと。

そしたら、しばらくして

このサイトで全文読めますよ、無料です

とリプが届いた。新聞の内容を転記しているブログがあるという。

 

アクセスして一気に読んだ。

そこに書かれてたのは、とある重病で死線をさまよい、長く厳しい闘病生活の果てに、満身創痍の身体で生きてきた男性の10年間だった。

走らせればクラスの誰よりも速かったのに。

杖を握ることもできないって何?杖が必要な足になってるって事やんね?握られへんのは手が原因。

 

大昔の記憶が蘇る。

肩の弾力。

熱さを帯びた背中。

そして

大きな手のひらの強い握力。

もう全部なくなってしまったっていうことか。なんてことだ。

強い薬や治療の果てに内臓もボロボロみたいだ。体重は20キロ以上落ちたという。全部治療の後遺症だと。

標準体型の男性が20キロ痩せたらどうなるんだ。想像がつかない。

いつ命を落としても不思議じゃない雰囲気を感じた。

しかも記事掲載から4カ月が経っている。

まだ生きてるだろうか。まだ間に合うだろうか。

連絡を取る術はないだろうか

私はこの子に伝えたいことがある。死ぬ前にもう一度話をしておきたい。

脳血管奇形から出血を起こし、私が永遠に言葉を失ってしまう前に。

多分これが最後のチャンスだ。

私は発作的に連絡を取りはじめた。

創価学会の会館、公明党の議員。思いつくままに電話を掛け、メールを打った。

当然のことながら、個人情報に関わることは教えられないとの返事だ。

聖教新聞本社に問い合わせてみてはどうか?と言われて連絡を取ってもダメだった。

あかんか・・・と落胆した次の瞬間、ツイッターのフォロワーさんに学会員の人がいることを思い出した。

絶対あの子と面識はない。距離が遠すぎる。ツテもつながらないだろう。

でも思いつく限り、もうこの人しか残っていない。

イチかバチか。やれることは全部やってから諦めよう。

「幼なじみが新聞社に勤めてるよ。取材した記者を探してもらうよう頼んどくから!」

なんと。

ひょっとすると連絡がつくかもしれない。

返ってきた返事に期待を掛けた。

望みが叶う可能性を得て、私の心は少し冷静になってきた。

万が一話をすることができたとしても、勧誘を避けて通ることは絶対にできないだろう。

この子は一般信者じゃない。役職がついてる。

近づいて大丈夫だろうか。

平坦じゃなかった私の子供時代において、この子は人生の明るい光だった。

世の中は私が思ってるほど悪いもんじゃない。人は信じるに足る存在だと思えるようになった。この人のお陰だ。

だからこの人に伝えておきたいんだ。ありがとうの一言を。

この人に会わなかったら、私は少年院に入るほどのワルになってた気がするから。

治療不能な血管腫と楽しく暮らす私ができあがるまで

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その一方で、創価学会にはどす黒く忌まわしい思い出しかない。

詳しいことは別記事にしてある。高校3年生の大事な時期を踏みにじり、我が家を壊滅的なカオスに陥れた宗教だ。

その人と会い、強い勧誘に遭ってしまったら。

子供時代の最高の時間と最低の時間を象徴する人間が同一人物になってしまう。

この人を通じてあのカオスを思い出したくない。どうぞ明るい光のままでいて欲しい。

会って大丈夫だろうか。絶対に勧誘を受ける。避けられないはずだ。

その時 私は持ち得るだろうか。自分で悲しみを慰められる心の強さを。

もう1つ自分に問うたことがある。

会いたいと思う理由の中に恋愛感情が混じってないだろうか。

少しでも気持ちが残っていたら絶対に会っちゃいけない。

下らない動機で美しい思い出を壊したくない。

本音を確かめるために10代の頃に流行した音楽を聞き続けた。

音楽は人の心をその時代に引き戻す。記憶が鮮やかによみがえる。

さあどうだ。

思い出した記憶の数々に対してどう感じてる?

心は震えるか。

ぎゅっとつかまれた感情が蘇るか。蘇ったらそれは恋心だ。

特に何度も聴いたのは、13歳の誕生日にもらった「ビューティフルネーム」という曲。

このレコードを貰う少し前に私は問われた。

「真剣な話な。自分は僕のことをどう思う?」

関西弁の「自分」とはyouのこと。目の前の相手を指す言葉。私のことだ。

だからこの曲には特別な思い入れがある。

当時の私はよく分かっていた。この子が何かしら特別な感情を持って私と接してきたことを。

自分の気持ちをまっすぐ表現する少年だったから。

 

私とは逆だ。

誰に対しても本音を言わない。幼いころからの処世術。本心を悟られないよう、いつも慎重に振舞っていた。

けれど。

ストレートな言葉を突きつけられた時、この子に嘘は言うまいと覚悟した。

はっきり伝えた。私もあなたが好きだと。

中学校に入学してすぐの頃の話だ。お互い子供だった。

この気持ちが変わるのは19歳。想いは形を変え濃淡も変化したけれど、心の片隅にその子を宿した10代だった。

延々と音楽を聴き続けた。

記憶は蘇る。けれど感情は揺らがない。

よし。話をしても大丈夫だ。今と昔の区別はきちんとついている。

勧誘を受けたとしても、昔の思い出を壊すことはないだろう。

言おう。

伝えよう。

私が言葉を話せるうちに。

この子にも伝えよう、お世話になった人達に伝えてきた一言を。

 

楽しい時間をありがとう。あなたのおかげで私はあの時、とてもとても幸せだった。

この子にだけ伝えたいこともある。

それは、自分の心を整理するための自己弁護だ。

19歳になった頃、あんな形であなたと会ってたのには、こんな事情があったんだ。あれは本当の私じゃない。

だけどね。

肩越しに問われたことに対して、あの時の私は正直に答えた。そこに全く嘘はない。

無数にある脳海綿状血管腫は、思い切った決断をする背中を押してくれる。

やりたいことはやれるうちにしておかねばならない。

出血すれば身体の機能を奪われる。しかも私の血管腫は多発性だ。脳と脊髄に無数の血管腫がある。

いつ出血するかは分からない。奪われる機能が何なのかも予想できない。

 

いつどうなってしまうか分からないからこそ、後悔を残してはいけない。

絶対にだ。

恥ずかしいだのプライドが許さないだのと言ってる場合じゃない。

私には後がないんだ。

みっともない結果に終わったとしても後悔はしない。

これは致命的な病気を持っている人間の強みだといえる。

会うことで何が起こるか分からない。想像以上に気持ちが揺れるかもしれない。

でも大丈夫だ。

勧誘してくるであろう今のその人と、美しい少年だったその人の区別はちゃんとついてる。

たとえ勧誘されても昔の想い出に傷はつかない。

ある日、捜索を頼んだフォロワーさんからメッセージが届いた。

 

「見つかったよ。電話番号を知りたがってるけど、伝えてもいいか?」

 

見つかったか!

しかもまだ電話で話せる状態で生きてるってことだ。

よかった。間に合う。

 

伝えておきたいことを伝えることができる。

私が言葉を失う前に。

 

その子からの電話は、その翌日に突然かかってきた。

 

 

次に行く前に。なぜ私がその人にお礼を言いたいのかを読んでください

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ちいでる

●家族性多発性脳海綿状血管腫(脳幹・脊髄も含む)を持つ軽度障害者 ●両親が重度障害者の家庭で育ちました ●たとえ平坦じゃなかったとしても、人生は何とかなるもんですね!

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