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初回の「24時間テレビ」は硬派な福祉番組だった
24時間テレビの初回。障害者を珍獣扱いする社会は終わるかも知れないと思った12歳の夏
「24時間テレビ 愛は地球を救う」が始まった1978年の夏、私は小学6年生だった。父親が障害者になったのは1972年、私が6歳の幼稚園児だった頃だ。あの6年の間に父や私が受けた理不尽な差別は数えきれない。足を引きずって歩く父を凝視する大人たちの目は、まるで動物園で珍獣をみているような悪辣な好奇心に満ちていた。
そんな少女時代を送ってきた私は、24時間ぶっ続けで障害者問題を扱う番組ができたと知り、本当に驚いた。しかも一流の芸能人がたくさん登場する。障害者を茶化したり日陰者として笑いのタネにしてきた時代は、ひょっとするともうすぐ良い方に変化するんじゃないか。
「24時間テレビ」が始まった1978年。夏休みがもうすぐ終わる週末。12歳の私は、テレビの前で正座して見てた。私たち家族が受け続けてきた、あからさまな障害者差別は収まるかもしれないと願いながら。
もし、初回から今の24時間テレビみたいな番組構成だったら、きっと私は泣いたと思う。
障害者は感動を生むための生き物ではないと。味噌汁のダシとるために鍋に放り込まれる煮干しじゃないんだぞと。
初回の24時間テレビはこんなに硬派な番組だった
初回の様子を少し紹介できたらと思う。
1回きりの企画だったものが 大好評を博し 現在に至る
障害者の両親と暮らしてきた私の目からみても、何の違和感もない有意義な番組だった。
今みたいに、アイドルがとってつけたように障害者と交流する番組じゃなかった。感動と感涙を無理やり作り出す仕掛けもなかった。だから、有名人が無意味にマラソンで走ったりしない。サライを大合唱して盛り上がったりもしない。
ただ淡々と障害者の日常生活を切り取り、彼らが何に困り、どんなふうに生きたいと思っているのかを放送した。なのに、健常者の方々へのインパクトも相当大きかった。それは視聴率と募金額に現れている。詳しい状況はすぐあとの章でまとめたいと思う。
本当は1回こっきりの特別企画の予定が、予想外の大成功に終わった訳
チャリティーの目標もとても明確だった。第1回目のテーマは
寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!
お風呂、車いす、バス。支援品に選ばれたのは、みんながよく知ってるものばかり。これも番組成功の一因だと思う。なぜなら、自分の募金がどのように障害者やお年寄りの生活をよくするのか、容易に想像できるからだ。
具体的に何に使われるお金なのか。どんなことに役立つのか。そこに納得がいってこそはじめて、人は気持ちよく募金でき、支援の手を差し伸べたくなるんだと思う。
漠然と「障害者を助けましょう!」ではカネは集まらない。
番組のエンディングまでメッセージが具体的で明確だった
当時の映像を貼らせて頂こうと思う。ツイッター(現在のX)で紹介されていたものだ。
普段は娯楽番組の司会をやってる大橋巨泉さんが、集まった募金について硬派な発言をしていた。
「福田総理大臣をはじめ、政治家の方たちに言いたい。これ(障害者支援)は本来あなたたちがやることだと思うんです。だから、福祉国家を目指していい政治をして頂きたいと思うんです」
そして、募金をしてくれた方も、お金を出したからこれで終わりなんじゃなく。強いものが弱いものを蹴っ飛ばすのではなく。弱い人たちと一緒に生きていく意識を大事にして欲しい、と。
総合司会は萩本欽一さん。巨泉さん同様、バラエティ枠の超売れっ子。出演番組の視聴率はどれも高く、お笑い界のレジェンドとして名を刻む一流の芸人だった。
けけど、絶対に笑いや薄っぺらい感動を煽ろうとはしなかった。巨泉さんも欽ちゃんも、この番組の趣旨をしっかり分かっておられた。
欽一さんは、もらったギャラを受け取らなかったと言われている。自分が出演してる番組で高額のギャラをもらってるからだろw と結論付けるのはどうかな?と私は思う。
今の24時間テレビに出てる芸能人だって、他の番組で高額のギャラをもらってるんじゃないのか? なのに、堂々とギャラを返上したという話は寡聞にして聞かない。私が知らんだけかな。
視聴率と番組存続のために バラエティ化する24時間テレビ
番組の内容が大きく変化したのには、以下のような大人の事情があったそうだ。
1991年の視聴率は、番組史上最低の6.6%(募金総額8億8319万2270円)。
初回1978年が15.6%(募金総額11億9011万8399円)。大いなる凋落ぶりだ。(出典 wikipedia)
45年も前の1978年に ほぼ12億。貨幣価値や物価を考慮すると、今の12億とは重みが全然違う。
タクシーの初乗り運賃で換算すると、地域差はあるものの
・1975年は280円。
・1995年は650円。
実に2倍以上の差がある。今ならもっと差が開いているな。
(1995年までのデータしか見つけられなかった)
とにかく、前年度視聴率6.6%を受け、1992年には「テコ入れ」を図るために以下のリニューアルを行い、番組のエンターテインメント化を図った。(出典 wikipedia)
- 悲惨な現状を確認することも大事だが、楽しみながら感動し、参加できるチャリティーを目指す方向に舵を切った。その結果、娯楽番組の色彩が強くなる
- チャリティーマラソンがスタート
- テーマソングとして「サライ」が誕生
大きなテコ入れをしてでも番組を存続させたい。関係者がそう考えるのは理解できる。
真面目に障害者問題を語ろうとするならば、番組構成とメッセージをよほどしっかり作らないと、障害者に興味がない視聴者を引き付けることは難しい。娯楽に流れた方がラクだ。
それにしても「楽しみながら感動」という言葉には、個人的に大きな違和感を感じざるを得ない。
今の24時間テレビ ここが嫌いだ
「可哀想」「頑張れ」を意図的に増幅させるマラソン
マラソンを走る芸能人の苦痛にゆがんだ顔。あれは何を狙ってるんだ?
障害者や災害弱者を「応援」するだけでは飽き足らず、苦しんでいる人を無理やり作り出して、応援に拍車を掛けさせる仕掛けだろうか。
いわゆる感動ポルノってやつか?
普段からガチで走っていたお笑い芸人の間寛平(はざまかんぺい)さんならまだしもね。
ダチョウ倶楽部とか森三中の大島さんのように、普段から体を鍛えているとは言いづらい体重過多な方々。
徳光和夫さんや萩本欽一さんのようなご高齢な方々を無理に走らせて一体何を狙ってるんだ?
苦しんでる姿を見せて、視聴者の感動を集めたいだけなんじゃなかろうか?
感動って、人が苦しんでいる姿からしか生まれないものか?
そんな感動、ゲスくないか?
障害者は健常者を感動させる一生懸命な存在 という画一感
障害者によるバラエティ番組「バリバラ」という番組が、2016年の24時間テレビと同じ日に、「障害者は健常者を感動させるために生きてるんじゃない」というテーマで番組を流した。
彼らが着ていた黄色いTシャツには「笑いは地球を救う」と書いてあった。
完全に「ぶつけ」てる。いい度胸だ。よくやった。この企画を通し、電波に乗っけたNHKもすばらしい。
ワープマラソンが話題になったこともありましたね
マラソンといえば。
途中で車に乗らなきゃ移動できないスピードだと話題になったこともある。まるで「ワープ」してるようだと。
2ちゃんねるで「スネーク」(相手にバレないように現場の状況を伝えること)してるヤツらが、芸能人と一緒に移動しながら実況中継してたりした。
普段から走る習慣のないマラソン初心者を走らせてるんだから、そうでもしなきゃ走ってる人が壊れるよな。
少し人気が下り坂のタレントにマラソンさせて集金する番組。無茶な芸を披露しておひねりをもらってる状態。異様だ。
そこまでして、視聴者の「感動欲」を満たしてやる必要があるか? 感動ってそんなに安いものなのか? 企画者がそう考えてるんだとしたら、視聴者は随分テレビ局にナメられたもんだよ。
24時間テレビに 障害者の両親のもとで育った私が望むこと
Tシャツをぶら下げるんじゃなく、昨年の収支が分かるポスターを貼ってくれ
24時間Tシャツは、毎年夏になると大型スーパーなどでも売られている。なのに、あれを着てる人を私は見たことがない。サライが流れる店内でゆらゆらと揺れ、枚数が減った様子もないまま、番組が済んだらひっそりと片付けられている。
Tシャツの目的は「ことしもそろそろ24時間テレビの季節ですよ!応援してね!」ってな宣伝にしかなってない気がする。
番組の宣伝をしたいなら、Tシャツを作るのに使うお金は、こんなポスターを作り、目につくところに貼り、収支報告するのに使って欲しいと個人的には思う。
皆さまのご支援のお陰で、昨年は〇〇億円の善意をお預かりしました。使いみちは以下の通りです。
番組開始から○○年。今年は8月△△日から24時間です。
精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
何がいくつ買えたのか。どの団体にいくらお金が渡ったのか。困っている人たちのためになったのか。
ぜひポスターに明記して欲しい。
お金を集めたら 誰にでも分かる形で収支報告をするのは義務だよ
託されたお金がどう使ったかを知らせるのは、ある種、多額のお金を集めた側の義務じゃなかろうか。
その数字が正しいかどうか調べる方法がないにせよ、誰にでも分かる形で収支報告をする絶好の機会じゃないか、番宣活動って。
Tシャツをぶら~んとぶら下げた横でサライを流してるより、番組で集めたお金が何に使われたのかを知らせてほしい。
これこそが番組の意義を伝えるのに一番大事な情報だよ。たとえ「出演者に高額なギャラが払われる福祉バラエティだ」と揶揄されてもね。
障害者や被災者のことを知るきっかけであり続けてほしい
「なんやねんこのお涙頂戴バラエティは!」
と思ってる私だとて、まあ無くなるよりはマシか・・と思っている部分もある。
人気タレントが出てればファンが見るだろう。タレント目当てだったとしても、その人とかかわってる障害者の姿も一緒に目に入るから。
それでも、弱者をサカナにして楽しく感動する番組なんて、ゲスいにも程があると思うんだけどな。ここまで読んでくださったあなたはどう思いますか・・?
視聴者がシラけ、生温かくスルーしてっちゃうのは、24時間テレビにチャリティーの心が感じられないからだよ。困難を抱えている人を見て「楽しく感動させたい」とは何事か。失礼にも程があるぞ。
障害者は見世物じゃない。
世の中に安っぽい感動の味を提供するダシじゃない。煮干しや昆布じゃない。私たちは人間だ。
失った機能、与えられなかった機能を必死に補いながら、精一杯 精一杯に生きている人間なんだぞ。
今年も24時間テレビの季節がやってくる。
毎年8月最終週が近づくと思いだすんだ。
明るい未来を信じ、正座しながらテレビを観てた12歳の夏を。