今の「24時間テレビ」は 弱者を利用した壮大なカネ儲け
重度障害者家庭に生まれ育ち、自身も障害者となった私が思うこと
「24時間テレビ 愛は地球を救う」が始まった1978年の夏、私は小学6年生だった。
父親が障害者になったのは1972年。この6年の間に父や私が受けた理不尽な差別は数えきれない。
福祉を扱う番組がないわけではなかったけれど、これほど大々的に福祉を取り扱う番組ができたなんて。しかも一流の芸能人がたくさん登場する。
きっとみんながこの番組を見る。これを機に、あからさまな障害者差別が収まればいいな。少しでも生きやすくなればいいな。
そう思いながら、番組が始まる日を楽しみに待っていた。
12歳の私は、テレビの前で正座して見てた。世の中が少し変わるかもしれないと思いながら。
でももし、初回から今の24時間テレビみたいな番組構成だったら、きっと私は泣いたと思う。
障害者は感動を生むための生き物ではないと。味噌汁のダシとるために鍋に放り込まれる煮干しじゃないんだぞと。
出演者が高額のギャラを稼ぐバラエティ
ことしも24時間テレビの季節が近づいてきた。昔の番組とは全く別物になってしまった。
あれは決してチャリティー番組じゃない。障害者をダシに使ったバラエティだ。
番組を見て感動した人達がなけなしのお金を持って募金会場にやってくる。
その一方で出演者たちは多額のギャラをもらっている。チャリティーじゃねえのかよ。寄付しろよそのギャラw。
関連グッズで業者も潤う
潤ってるのは出演者だけじゃない。番組宣伝の為に相当なお金が動いている。
例えばあの24時間Tシャツ。毎年近所のスーパーのサービスカウンターに、各サイズ取り揃えて大量にぶらさげられてる。
でも私、あのTシャツ着て道歩いてる人を、番組開始の1978年から今まで、一度も見たことがないんだよな。たまたまかもしれんけど。
大量に売れ残るのが分かってるTシャツを作る業者、それを発注する業者、デザイナー、その他の関係者達に、毎年多額のカネが無駄に使われている。
売れ残ったTシャツはどうなるんだろう。デザインが違うから来年また使うってわけにもいかんだろう。
というかおそらく、Tシャツに関係してる業者だって、「これを着てるのは主に番組関係者くらいで、番組が終わったあとも着てるヤツはまあ皆無だわなw」って分かってるはず。
かつては障害者問題を取り上げる硬派な番組だったのに
1回きりの企画だったものが 大好評を博し 現在に至る
開始当初1978年の放送は本当に真面目な番組だった。
障害者の自立に必要なことは何か。大人たちが真面目に話をしていた場面を覚えている。
障害者の父と暮らし続けてきた私の目からみても、何の違和感もない有意義な番組だった。
アイドルがとってつけたように障害者と交流することなく、障害者の日常生活を普通に切り取った番組だと感じた。
後述するけど、健常者の方々へのインパクトも相当大きかった。それは視聴率と募金額に現れている。
何に使われるのかが明確だったから 気持ちよく募金できたのではなかろうか
チャリティーの目標もとても明確だった。第1回目のテーマは
寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!
お風呂、車いす、バス。支援物資がどういうものか、みんなよく知ってるものばかりだ。これも番組成功の一因だと当時の私は考えた。
漠然と「障害者を助けましょう!」ではカネは集まらない。
具体的に何に使われるお金なのか。どんなことに役立つのか。そこに納得がいってこそはじめて、人は気持ちよく募金をするんじゃないだろうか。
視聴率と番組存続のために バラエティ化する24時間テレビ
番組の内容が大きく変化したのには、以下のような大人の事情があったそうだ。
1991年の視聴率は、番組史上最低の6.6%(募金総額8億8319万2270円)。
初回1978年が15.6%(11億9011万8399円)だったことを考えると、大いなる凋落ぶりだ。(出典 wikipedia)
41年も前の1978年に ほぼ12億っすよ。貨幣価値だの物価だのを考慮すると、ここ数年の12億とは重みが全然違う。
タクシーの初乗り運賃で換算すると、(地域によるけど)1975年は280円、1995年は650円。実に2倍以上の差がある。
(5年刻みのデータしか見つからんかった)
とにかく、前年度視聴率6.6%を受け、1992年には「テコ入れ」を図るために以下のリニューアルを行い、番組のエンターテインメント化を図った。(出典 wikipedia)
- 悲惨な現状を確認することも大事だが、楽しみながら感動し、参加できるチャリティーを目指す方向に舵を切った。その結果、娯楽番組の色彩が強くなる
- チャリティーマラソンがスタート
- テーマソングとして「サライ」が誕生
まあ確かにそうだろうな。
真面目に障害者問題を語ろうとすれば、身近に障害者がいない大半の視聴者は離れていってしまう。
大きなテコ入れをしてでも番組を存続させたい。関係者がそう考えるのは理解できる。
それにしても「楽しみながら感動」という言葉には、個人的に大きな違和感を感じざるを得ない。
24時間テレビのここが嫌い
「可哀想」「頑張れ」を意図的に増幅させるマラソン
マラソンを走る芸能人の苦痛にゆがんだ顔。あれは何を狙ってるんだ?
障害者や災害弱者を「応援」するだけでは飽き足らず、苦しんでいる人を無理やり作り出して、応援に拍車を掛けさせる仕掛けだろうか。
いわゆる感動ポルノってやつか?
普段からガチで走っていたお笑い芸人の間寛平(はざまかんぺい)さんならまだしもね。
ダチョウ倶楽部とか森三中の大島さんのように、普段から体を鍛えているとは言いづらい体重過多な方々。
徳光和夫さんや萩本欽一さんのようなご高齢な方々を無理に走らせて一体何を狙ってるんだよ?
苦しんでる姿を見せて、視聴者の感動を集めたいだけなんじゃなかろうか?
感動って、人が苦しんでいる姿からしか生まれないものか?そんな感動、ゲスくないか?
障害者は健常者を感動させる一生懸命な存在 という画一感
障害者によるバラエティ番組「バリバラ」という番組が、2016年の24時間テレビと同じ日に、「障害者は健常者を感動させるために生きてるんじゃない」というテーマで番組を流した。
彼らが着ていた黄色いTシャツには「笑いは地球を救う」と書いてあった。
完全に「ぶつけ」てる。いい度胸だ。よくやった。
企画を通して電波に乗っけたNHKもすばらしい。
ワープマラソンが話題になったこともありましたね
マラソンといえば。
途中で車に乗らなきゃ移動できないスピードだと話題になったこともある。まるで「ワープ」してるようだと。
2ちゃんねるで「スネーク」(相手にバレないように現場の状況を伝えること)してるヤツらが、芸能人と一緒に移動しながら実況中継してたりした。
普段から走る習慣のないマラソン初心者を走らせてるんだから、そうでもしなきゃ走ってる人が壊れるよな。
少し人気が下り坂のタレントにマラソンさせて集金する番組。無茶な芸を披露しておひねりをもらってる状態。異様だ。
そこまでして、視聴者の「感動欲」を満たしてやる必要があるか? 感動ってそんなに安いものなのか? 企画者がそう考えてるんだとしたら、視聴者は随分テレビ局にナメられたもんだよ。
24時間テレビに 一障害者の私が望むこと
Tシャツをぶら下げるんじゃなく、昨年の収支が分かるポスターを貼ってくれ
あの24時間Tシャツを着てる人を私は見たことがない。サライが流れる店内でゆらゆらと揺れ、枚数が減った様子もないまま、番組が済んだらひっそりと片付けられている。
Tシャツの目的は「ことしもそろそろ24時間テレビに季節ですよ!応援してね!」という宣伝にしかなってない。少なくても私が行く店ではそうだ。
番組の宣伝をしたいなら、Tシャツを作るのに使うお金は、こんなポスターを作り、目につくところに貼り、収支報告するのに使って欲しいと個人的には思う。
皆さまのご支援のお陰で、昨年は〇〇億円の善意をお預かりしました。使いみちは以下の通りです。
番組開始から○○年。今年は8月△△日から24時間です。
精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
売れ残ったTシャツの行く末が気になるんだよね、毎年。
お金を集めたら 誰にでも分かる形で収支報告をするのは義務だよ
託されたお金がどう使ったかを知らせるのは、ある種、多額のお金を集めた側の義務じゃなかろうか。
その数字が正しいかどうか調べる方法がないにせよ、誰にでも分かる形で収支報告をする絶好の機会じゃないか、番宣活動って。
Tシャツをぶら~んとぶら下げた横でサライを流してるより、番組で集めたお金が何に使われたのかを知らせてほしい。
これこそが番組の意義を伝えるのに一番大事な情報だよ。たとえ「出演者に高額なギャラが払われる福祉バラエティだ」と揶揄されてもね。
障害者や被災者のことを知るきっかけであり続けてほしい
「なんやねんこのお涙頂戴バラエティは!」
と思ってる私だとて、まあ無くなるよりはマシか・・と思っている部分もある。
人気タレントが出てればファンが見るだろう。タレント目当てだったとしても、その人とかかわってる障害者の姿も一緒に目に入るから。
けれど、弱者を見て楽しく感動するなんてゲスいにも程がある。
障害者は見世物じゃない。バカにすんじゃねえ。
2020年8月23日追記
第一回目の「24時間テレビ」の画像を見てください
第一回目の「24時間テレビ」の画像を拾いました。
歩けるようになるまでどれだけ苦しいリハビリをしたのか。
職業訓練校に真面目に通って、利き手とは逆の手を使って簿記・珠算2級に合格したけど、見つかった仕事がパチンコ屋の換金所の中の人だったこと。
だから、24時間テレビが始まった時、父のような人が一人でも減るように心から祈りつつ
12歳の私はテレビの前で正座して観てたんです。食い入るように見てたんです。
その時の動画を貼ってるツイートを拝借してきました。
硬派な番組だったんですよ。
普段は娯楽番組の司会をやってる大橋巨泉さんが、こんな発言をしてるくらいに。
該当の部分を抜き取りました。24時間テレビ、最初は本当に社会福祉の信念によって作られていたのですね…… pic.twitter.com/5YLP6RIMPP
— no_imageP (@no_imageP) August 23, 2020
総合司会は萩本欽一さん。巨泉さん同様、バラエティ枠の超売れっ子だったんですよ。
だけど、絶対に笑いや薄っぺらい感動を煽ろうとはしなかった。
欽一さんは、もらったギャラを受け取らなかったと言われていますよね。
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