背骨を握りつぶされてるような激痛の果てに
私はこの半年間、強い痛み止めを飲まなければ動けない毎日を送っている。
その激痛は予告なく現れた。背中の中心から発した痛みは臀部や肩甲骨まで広がる。動かすたびに叫び声を上げ、ベッドから起き上がるのに1時間かかり、風呂は命がけで入ってた。
ある日、その風呂で私は致命的なことをやらかしてしまう。濡れた湯舟で足を滑らせ、思いっきり腰を打ち付けたのだ。何とか立ち上がった瞬間、背中から臀部までの痛みが変化したのを感じた。背骨を鷲づかみにして握りつぶされてるような激痛に、生温かい感覚が加わった。
麻痺の初期症状じゃないか、これ。私は背骨を折っちまったんじゃないか?
腕がいい近所の整形外科に急いだ。患者が多いせいか常にあわただしい診察をする医師が、レントゲンを見るなり顔色を変えた。
「MRI!MRI空いてる?え、予約の人?悪いけど待ってもらって!」
いつもなら、「MRI撮影は予約でいっぱいだから後日あらためて来院しろ」なのに。
なのに今日の私は、予約の隙間にねじ込まれようとしている。
背骨が背骨の形をしていない
MRI画像を見て医師の緊張感はさらに高まった。画像をのぞき込んでぞわっとイヤな震えがきた。素人が見ても明らかにマズい。こんなことになってたら背中に激痛が走るのは当然だ。
背骨の1つが脊髄を半分押しつぶしている。いやそれ以前に、背骨が背骨の形をしていない。潰れてる。
「すぐ紹介状を書くから!すぐに紹介先の病院に行って!急いでよ!・・あ!コルセット!コルセット貸すから!寝る時と風呂入る時以外、絶対外さないで!」
35度を超えてる熱気が身体にまとわりついている。まとわりついてるはずなのに、私は寒さで震えている。告げられた病名が頭を殴る。
胸椎12番の破裂骨折。原因は海綿状血管腫。足の付け根から先がマヒする。排泄機能も失う。12番の胸骨を切断。別のところから骨を取って移植。上下の背骨にボルトを打って固定する大手術になる。手術時間は6時間から7時間ぐらいかな。
血管腫の成長に背骨が耐えられなくなったってことなんだろうか。
私の海綿状血管腫は脳だけにとどまらず、脊髄という神経の束の上にも、腸骨という腰の骨にも大きな血管腫がある。いずれ血管腫のせいで他の骨までやられてしまうだろうか?腸骨にある血管腫は5cmもある。
今までは血管腫が見つかっても、ただそこにあるだけ。経過観察のみ。生活に大きな問題は生じなかった。
でも今回は違う。足が動かなくなり一人で用を足せなくなったら介護がいる。世話をするのは12歳年上の夫。現在69歳。今は元気でも、70代になれば不具合もでてくるだろう。そしていずれ共倒れになる。
真夏の太陽が肌を焦がしている。日傘を差すことも忘れ、色が抜けた景色の中で私はゆらゆらと浮かんでいた。
壊れる前に何か残さねば。文章を残さねば
胸椎12番という背骨のあたりで神経圧迫が起こると両足の麻痺。
そして、胸椎12番の他に、背骨の神経(脊髄)の血管腫が胸の上部にある。そこが出血すると両手まで麻痺する。
麻痺と老化が自由を拘束する。そんな人生のフェーズを生きることになるのか私は。
人の手を借りねばならぬ日々。生きるために生きる日々。それがどれほど人から自尊心を奪うのか、私は障害者だった両親を傍で見て育ったので、子供の頃からよく知っている。
人というのは、何かを生み出し、誰かの役に立つ喜びによって人生の手ごたえを感じる生き物だと私は思っている。受け身なだけの人生は、私から命の喜びを奪うだろう。
だから今すべきは、質の高い手術ができる大病院とつながることだけに留まらない。私が生み出したいと願っているものを、後悔なきようしっかり作っておくことだ。
仕事をしていれば、自分の努力が形となって表れる。大学受験予備校にいた私であれば、努力の形は合格実績・集客力・生徒アンケート。どれも数字で分かりやすく把握できる。
しかし今は無職。身体のことを考え教壇から降りた。だから今、何か生み出す生活を送りたいなら、自分の身体を酷使しない範囲でできる、やってて楽しいことを続けていくしかない。
私にとってそれは文章を書くこと。文章を書いて暮らしていくのは子供の頃からの夢だ。
しかしながら、最近は頭がうまくまとまらず、ブログから遠ざかってきた。でももう、文章にまとまりがないから書かないとか、人を惹きつける文章を書かねばならないなんて、そんな御託を並べている事態じゃなくなった。
多分、そうだ。
だからまた、ブログを再開することにした。
とはいえ、椅子に座っていられる時間には限りがある。体調の波もある。定期的に文章を上げ続けることは難しいだろう。
誰が読んでくれるかさえ分からない。でも、もはやそんなことはどうでもいい。
書こう。ヘタであろうと。平凡であろうと。